2015年08月12日

「一人は全体のために、全体は一人のために」の危うさ

学生寮時代、カッコつけて「一人は全体のために、全体は一人のために」なんて言葉を振り回していたら、「それは全体主義のスローガン。嫌いな言葉です」とカナダ人神父さんに言われたのをこの時期思い出した。

太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)10月に始めた特攻作戦は、勝算がまったく見えない中で軍が考え出した破れかぶれ作戦だったが、誇大に戦果が報告され、兵士が軍神扱いされて拡大の一途をたどる。

しかし、片道分の燃料と爆弾を積んで飛び立つ特攻機の操縦士は次第に練度の低い予科練習生や学徒出陣の飛行予備学生となり、標的に到達する前に多くが命を落とした。策に窮して最後は爆弾を積んだベニヤボート、人間魚雷、複葉の練習機まで送り込まれるが、戦闘能力は限りなくゼロだった。

「お国のため」、「天皇陛下のため」------ 無為の死を正当化するために若者に言い聞かせた言葉だ。

国民は全体(国)のために死を求められたが、全体は国民の命を救うために何をしてくれたのか-----

戦争が始まったら、国も人も変わる。安保の法制化を進める安倍さんは「国民の命を守るため」と言うが、いったんどこかで日本の自衛隊がドンパチに巻き込まれたら、戦争は勝手に歩き出す。総理大臣であろうともはや止められなくなることをこの人はわかっていない。

永田 克彦さんの写真
posted by kathy at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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