2007年12月21日

今日的中国漫行紀P「桃源郷・・・」


「願作桂林人、不願作神仙」・・・。
神仙にはなりたくないが、桂林人にはなりたい…。

市内の岩山に彫り込んであった言葉です。


台風や地震などの自然災害もないこのあたりは、1年を通じて気候も温暖。
米は年2回収穫でき、果物や魚なども豊富です。

桂林に生まれて育ったガイド、馬林さんは「桂林が一番。北京や上海などの大都会に住む気はしません」と言います。


中でも、その馬林さん一押しのスポットがここ「桃源郷」。

晋の時代の詩人、陶淵明も「良田、美池、桑、竹に恵まれたこの地では年中桃の花が咲き乱れ、人々は魚を捕まえては酒を飲み、おだやかに暮らしている」と謳っています。


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(小船で桃源郷をひと回り…。水はどこまでもきれい。まるで水源の水のようです)

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(釘などの金物を一切使っていない木造の「風雨橋」。歌がうまいトン族は大工仕事も得意です)

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(すべては川の水で・・・)         (岸辺で草を食む赤牛)

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(刺繍が得意な苗=ミャオ族の女性)  (年中咲いている桃の花。実はつけない)

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(毎日こんな平和なシーンの中にいると、争いごとが馬鹿らしくなるかも。じゃんけんだって負けてあげる〜)

想像上の理想郷と思っていた「桃源郷」が目の前にある…。

ここに1年も暮らすと、どうなってしまうのだろう…。
間違いなく平和ボケが加速・進行するだろうなぁ、kathyの場合。

それにしても、北にツンドラ、西に砂漠、南に桃源郷…。
中国は広い!
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2007年12月20日

今日的中国漫行紀O「漓江下りは足で・・・」

晴れ男、面目躍如!

すばらしいお天気の中、桂林観光第一のお目当て、「漓江下り」です。

「日本昔話」か「ひょっこりひょうたん島」に出てきそうなぽっこりした奇岩、怪山、澄んだ川…。

水墨画、山水画でしばしば描かれてきたこの景色は、広い中国でもこのあたり一帯でしか見られません。

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花崗岩の大地があるとき隆起し、長年の雨、風で浸食されてできたま〜るい山の数々。

形成過程が似ているアメリカのグランドキャニオンの方は荒々しい光景が売りですが、こちらのぽっこり山はなんとも愛らしい。たぶん、形成年齢が違うのでしょう。

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(住民の足は竹を組んだいかだ)

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(「水晶はいらんかネ〜」といかだですり寄ってきたおじさん。ロシア人観光団の1人が1個90元を20元にまけて買いました。実はこの水晶、ガラスで作ったニセモノです。「20元=300円で買えるソフトボール大の水晶があるわけないでしょ」とは夕べから私たち親子についてくれたガイド、馬林さんの話。ロシア人には?もちろん、言いませんよ。いい買い物をしたと思っているんですから)


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ところが、・・・


今年は十数年ぶりの大干ばつ。漓江の水量が極端に減っているので、いつもなら83キロも下る観光船は、見どころコースにしぼって10キロほど下ったらUターンです。

その短縮コースでも、ご覧のような狭くて浅い場所が何か所も。人が乗っていると船が川底につくので、客をみんなおろして、空っぽの船で静々と進みます。ブルドーザが川底を掘ったり、人力で岸から離したり…。

その間、客たちは岸辺を歩いて川下りです。
住民が売っているザボンをムシャムシャ食べながらの徒歩の川下り、不思議な体験でした。

帰りも数十隻の船で大渋滞。
1時間半の予定の漓江下りは、なんと5時間かかったのでした。
いやはや…。

現地に行ってみないと何が起こるかわかりません。
パンフレットでは見えない部分との遭遇…、これもまた旅です。
怒ってはいけません。


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2007年12月19日

今日的中国漫行紀N「立ちすくみ60秒」

某日。 西安市内を散策。

何せ西安に入ると一番存在感があるのが西安(長安)城の城壁。昔はどの町にも見られたこの城壁も、いまでは西安、南京などわずかに残っているだけとか。巨大な城壁があった北京の名残りのひとつが天安門。


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(周囲14キロの城壁で遮られた内と外をつなぐのが門。写真は南門。これひとつで日本の城の天守閣よりもド〜ンとしています。たかが門ですよ。中の城郭はどれだけ巨大だったのだろう…)

メインの門から40元(600円)を払って城壁に上がると、貸し自転車があります。レンタル料1台20元(300円)、預かり保証金200元(3000円)。保証金は自転車を返すと戻ってきます(我々は長楽門で借りて、南門で返却)。


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(ひと汗かくつもりだったサイクリングですが、出るのは鼻水だけ。北京より南西にある西安とはいえ、午前中は結構冷えます)

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(今昔のコントラスト。”現代”の方角がボケて見えるのは、霞みのせい?それとも見るものの目が曇っている?)

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(ひょいと現れた完全武装の兵士ふたりとすれ違いました。近くでイベントをやってるようでもないし…。??? ひょっとして今のふたりは、唐時代の亡霊か?それとも、我々が一瞬、昔にタイムスリップしたのか?)

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(西安で目立つのは回族。眉が太い男性、目がクリッとかわいい女性。回族の店ばかりのこの自由市場は、さながらイスタンブールの雑踏の風情です)

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(西安市内最大のモスク、清真大寺)

タマネギを頭にのせたようなモスクを想像していたら、日本人には見なれた『お寺』の格好。西安の市内地図にはタマネギ型のマークが載っていたのですが…。

それにしてもこのモスク、ずいぶんと埃っぽかった。坊主、小坊主が早朝から掃除をしてピカピカに磨くのがお寺と思っていましたが、モスクは違うのかなぁ。機会があったら別のモスクも覗いてみるか。

少々疲れた頃、娘がスターバックスを発見。
あったかいコーヒーと柔らかい椅子に腰掛けてしばし休憩です。

さぁて、西安ともオサラバするか!

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(夜8時10分、桂林空港着。気温が違う。何か空気も違う!ホッ)

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モスク珍体験!


西安の大モスク、清真大寺本堂の奥の奥まで進んでみたら観光客は日本人の親子だけ、つまり我々ふたり。さらに女性と言えば、うちの娘だけ。

何かの合図があったのか、観光客だとばかり思っていた数十人の男性がいきなり白い帽子を頭につけ、片手を肩まで上げてピタッと静止した。その間、約1分。

異様な雰囲気に驚いたおのぼりさん親子も静止です。恐怖感にも近い不気味さを感じて立ちすくんだ60秒でした。


あとでわかったのですが、この日は金曜日。イスラム教徒にとっては断食をしてモスクに集まり、敬虔な祈りを捧げる日です。この日は、高僧が来て説教をしたそうです。

チャドルも着けないおかっぱ頭の娘とその父親は、何も知らずに奥の院までフラフラと迷い込んだのでした。
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2007年12月18日

今日的中国漫行紀M「払ってくれてもいいし、払わなくてもいいし…」

チャーターしたタクシーとの約束は5時まで。
あと1時間弱。
目いっぱい仕事をしてもらわなくちゃ。

ドライバーのおススメで向かったのは西安市の南4キロにある大雁塔。
唐の時代に建てられた大慈恩寺境内に立つ中国仏教の名塔です。

インドから帰った玄奘三蔵法師の願いで境内に塔が建てられたのが652年。寺には三蔵法師が歩いた道のり図、孫悟空や八海などを引き連れた西遊記の壁画などが。三蔵サマサマのお寺なんですね。


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この寺では、西と東の建築要素がドッキングしているようです。やはりシルクロード起点の町です)

当初、五層だった煉瓦造りの塔は704年に十層になったものの、戦乱などで上部が崩壊し、現在は七層(高さ64m)。

塔に上がれますが、この日は高さ74mの始皇帝稜に登ったばかり。狭いらせん階段をさらに64mも…。それにタクシーの運ちゃんが待ってるし…。軽すぎた昼食のツケで腹はグーグー鳴っているし…。



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(1350年経っても「新品」のように狂いが見当たりません。いやはや、レンガ造りの建築物というのはすごいものです)

ということで、娘が目をつけていた市内のレストラン「西安飯庄」へ向かいます。
店の前でタクシーを降りた時刻は5時。お見事、チャーター時間を使いきりました。


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(ここ陝西省の料理を中心にオーダー。鯉かなまずか…と思った魚は松鼠魚。全体に辛くはなかったのですが、数種類の香辛料をまぶした焼き鳥ならぬ羊の串焼きだけはしょっぱい、辛い!香辛料を払って食べました。赤ワインも地元産。中国のワインはなかなかいけます)


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(ベジ子の娘にとっては野菜やら麺やらで、いつもよりは立派な夕食になっているようです)

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タクシー代を払うとき、運ちゃんがこんなことを。

「ホテルから言われたのは兵馬俑見学のチャーター。市内観光は入っていない。いくらか追加をもらいたいのだけど、払ってくれてもいいし、払ってくれなくてもいいし…」。


「払ってくれてもいいし、払ってくれなくてもいいし…」、妙な言い方に娘は苦笑。

私は「結構よくやってくれたから、しゃあないか」と目配せして、チップ程度を上積みです。

こんどチャーターを頼むときは、目的地契約か、時間契約か、事前に確認しようっと。

ここは、中国なり。
posted by kathy at 12:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月17日

今日的中国漫行紀L「いけにえを求めず」

「これから兵馬俑に行きたいのだけど…」…。
朝10過ぎに西安のホテルに着き、コンシェルジュ(案内人)に相談です。

「ホテルから兵馬俑行きの見学バスが出ます。ひとり450元ですが、きょうの便はもう出ました。タクシーを半日借り切るという手もあります。1台350元くらいです」


明日の朝まで待つのもなぁ…。それに、見学バスだとふたりで900元(13,500円)。タクシーだと350元(5,250円)で寄り道や時間配分もこちらペースで決められる。よし、タクシーにしようっと。


スケジュールをその場で組み替えるのは旅の醍醐味。
団体旅行ではこうはいきません。
軽い昼食をとり、迎えに来たタクシーに乗って30キロ先の兵馬俑へ。

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(3つある中で最大の一号坑は長さ230メートル、幅62メートル、サッカー場がふたつすっぽり入る大きさです。兵馬の数は約六千体、現在も発掘中。保存と見学者のためにすっぽりとドームで覆う中国の度量もデカイこと!)

広大な中国を初めて統一した秦。そのときのボスが初代の皇帝、つまり始皇帝。彼は38年の歳月と70万人を動員して生前に自分の墓(始皇帝稜)を作ったそうです。死んでも墓に入られるかどうかわからないkathyとは大違い。

兵馬俑は始皇帝を守る地下軍団。30年ほど前(1974年)、自分の庭に井戸を掘っていた農民が、偶然、兵馬の破片を見つけました。

2000年前の大遺跡を発見した当時42歳の楊志発さん、その後は豊かに暮らしているとか…。
うちの庭も掘ってみますか。



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(東京・目黒にある五百羅漢寺で一体ずつ羅漢像を眺めると自分の顔が必ず見つかるとか。ここ兵馬俑の兵士たちも、ひとりずつ顔つきや表情が違います。身長こそほぼ180センチでそろっていますが、型にはめた量産品ではなく、一体ずつ特定の人間を像にしていったのでしょう。確かに鏡で毎朝見るねぼけ顔が、ホラ、あそこに)


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青銅製の4頭立て馬車。まるで今にも走り出しそうなほど、イキイキ感があります)


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(秦の始皇帝陵は周囲約6.2キロの巨大な四角錐型の墳墓。盗掘を防ぐ仕掛けが随所に施してあるといわれ、内部構造はまだ完全には解明されていないとのこと。忍び込んだ多くの業つくばりが出られなくなったなんて考えると実に愉快!兵馬俑の西1.5キロにあり、高さは76メートル。登ってみるとこの階段が意外にキツイ!)

帰りの車中、うつらうつら眠気を感じながら、9月に上野の科学博物館で見た「インカ マヤ アステカ展」を思い出していました。

中南米のピラミッドなど墳墓建築では殉死が普通でした。時には数千人も。
生贄(いけにえ)を求めず、陶製の兵馬、青銅の武器を副葬品とした始皇帝、そして当時の中国文明って、なかなか人間的?

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2007年12月16日

今日的中国漫行紀K「ふすまに耳あり, 障子に目あり?」

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棒棒足デーの翌日。

陽が昇り始めた朝7時半の飛行機で北京をたち、悠久の古都・西安(昔の長安)へ。
離陸から着陸まで睡魔が親友でした。

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(ずっと続く赤茶けた山々。岩山なのか、それとも枯れかけた草地なのか。遠い日本からの遣隋使、遣唐使はどこを通って長安に行ったのだろう…)

西安空港到着。
群がるタクシーの運ちゃんを振り切り、娘は案内所へトコトコと。親切な女性スタッフがわざわざ市内行きのバス停まで連れて行ってくれました。

娘と私はひとり26元(390円)を車掌に払って乗客になります。クルマで小一時間の市内までをタクシーに乗ると150元(2,250円)以上はとられるでしょう。バスを選択した娘はなかなかどうして…。

バスの先客はビジネスマンと思しき数人の男性だけ。動き出すと、女性車掌は客席を回り始めました。バス代はもう払ったはずだし、なんだろう?

やがて、我々親子のところにも彼女が…。
娘はふだんどおりニコニコと話しています。

彼女が去った後、まったくわからなかった二人の会話の中身を聞いて見ると…、なんと。

「どこから?」
「どこへ?」
「ホテルはどこだ?」
「どのように予約したか?」
「部屋代はいくらか?」

こんなことを車掌に聞かれるのは初めてという娘は「何だろう…。職務質問?」。
日本だったら、「私が泊まるホテルがどこでも、部屋代はいくらでも、あんたには関係ないでしょ」で終わりですが。

公共バスの車掌には「怪しいヨソ者がいたら公安に通報するように」との密命が課せられているのかなぁ…。それとも、公安機関員が車掌に化けている?

見た目は「何でもあり」の市場経済社会。しかし、ここはやっぱり中国。13億人を一党独裁の共産党が統御するこの国には表、裏にいろいろな仕掛けがあるのでしょう。障子に目あり、ふすまに耳ありの世界?

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(西安は広大な中国のほぼ中央、へその辺り。ここから西へ数千キロ、シルクロードが伸びます。それにしても、この霞んだ空…。「西安よ、君もか」)
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2007年12月15日

今日的中国漫行紀J「棒棒足その5 カンフーは遠かった」

朝早くにスタートしたこの日の行脚は、@万里の長城、A胡同、B故宮、C景山公園を回って、時はすでに夕暮れどき。

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(再び故宮の長〜い外堀をてくてくと歩いて帰るころ、目の前にこんな美しい光景が。故宮北東角にある八角楼)

娘は父親と自分のために、休憩メニューを入れてくれていました。ホッ。
「足裏マッサージ」。90分、92元(約1,350円)。
サンドイッチ、カレー炒飯、餃子、果物、お茶などの軽食つきです。

あるツボにきた時、「痛(トン)ッ!」と告げたら、マッサージ師いわく。
「お客さん、胃が弱っていますね」。
このところの「大食い」がバレましたかね。

日中の「歩き」で疲れきった足は、足裏マッサージで少し回復。
気を取り直して夜7時半からの「カンフーショー」に出かけました。

しかし、めざす劇場はずいぶんと遠かった! 夜になって気温がどんどん下がる中、結局、地下鉄の出口から数駅分の距離を歩くことに。癒しの「足裏」のあとにこんな長距離行軍があるとは…。ちと油断していました。フーッ。

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(少林寺拳法を軸にしたカンフーショーは、6幕もので、ひとりの小坊主が心技体を鍛えて次第に成長し、最後には高僧になる物語。劇場内は撮影禁止ですが、フラッシュをたかずに…こっそり、ひっそり)

格闘技、ミュージカル、サーカス、バレェなどの要素が入れられていますが、人間離れした動きには客から大きな驚声、嬌声、歓声が。ヒョウのように飛び、その体は鋼のように刃をはね返す。とにかくすごい!

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(カンフーショーの常設館「紅劇場」は平日にもかかわらず、席は9割方埋まっていました。シートは全席指定。180元=2,700円から640元=9,600円まで数ランクあります。入ってみると我々の180元の席は640元の席と通路ひとつ離れただけ。1メートル先の640元席に座っているのはわずか数人の白人だけでした。4倍の金を払うこの方々は常にファーストクラスでありたい? それとも奉仕家?)

中国は体操王国。
上海雑技団といい、今回のカンフーショーといい、肉体を極限まで使った「サーカスショー」の常設館がこの国にはいくつもあるようです。

棒棒(バンバン)足の日はこのカンフーでおしまい。
いやはや疲れました。
ショーを見終わった私と娘は、さすがにテクシーではなくタクシーで帰宅です。

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不思議だなぁ…

この日のカンフーショーのお客さん、ざっと見た限り、数人の欧米人、数人の日本人、約1千人の中国人。他に韓国人その他のアジア系が数十人?

幕間をつなぐ語り部のような役の高僧と小坊主の言葉はずっと英語。
その英語は中国語字幕で。

劇中の登場者の言葉はずっと中国語。
その中国語は英語字幕で。

チケット売り場でもらったパンフレットは中国語と日本語。

はて、この劇場のお客さまは、一体、どなた ?????
posted by kathy at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月14日

今日的中国漫行紀I「棒棒足その4 ♪霞みか〜、雲か〜♪」

広大な故宮を約3分の2ほど歩き回ったあとは、その裏手にある景山公園の丘に登って北京を上から眺めてみるとしますか。

国内を旅するとき、しばしば城下町を狙います。昔の殿様はどんな思いで下々、つまり民の生活を眺めたのかなぁ…なんて想像しながら天守閣に上るのが好きなので。

@万里の長城、A胡同、B故宮を回って棒棒(バンバン)になっている足には、少しの登り坂も大変な急勾配に感じます。
でも、この上には絶景があるハズ、登るぞ〜(ワクワク)。


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(急な階段を上りきると立派な楼閣が)

しかしぃ、〜。
ようやくたどり着いたてっぺんから先ほどまで歩き回っていた故宮の方角を眺めると、ん?疲れ目かな?

いやいや、霞んでいるのです。ぼやけているのです。街全体が。

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(先ほどまでいた故宮方面はこんな状態。思わず口ずさみました♪霞みか〜、雲か〜♪)



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(中国美術館方面もこう…)

一流の文化遺産をどんなにピカピカに修復しても、空が霞んだままでは、厚手のヴェール越しに宝物を見てください、と言うようなものです。

来年のオリンピックに海外から押し寄せるだろうたくさんのお客さん…。

彼らが感動するのは「澄み切った空」の元で繰り広げられるアスリートたちの熱い戦い、そして美しい中国を見ることだと思うのですが。

ホントにもったいない。
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2007年12月13日

今日的中国漫行紀H「棒棒足その3 故宮を歩く、呼吸が荒く…」

足が棒になるまで歩いたバンバンジー(棒棒鶏)、いや棒棒足のこの日、次に訪れたのは故宮。

第1ラウンドの万里の長城、第2ラウンドのフートン(胡同)に続く第3ラウンドです。


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少しヘンな日本語が遠くから聞こえます。
この時期、極端に少ない日本人観光客グループを案内している中国人ガイドのようです。

「来年のオリンピックには世界中からたくさんの人が来まぁ〜す。改革開放の成果を知ってもらういい機会なので、今、いろいろと修復作業がおこなわれていまぁ〜す」

歴史の踏み跡がついた石畳を剥がして真新しいタイルを張ったり、朱色や青、金色の塗装を塗り替えたり…。

フ〜、新築のようにしてしまうつもりなの?
この修復作業と改革開放の成果はどうつながるのかなぁ…。


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(左側に女官や事務官の控え室がずらりと並び、そこが故宮博物館として使われています。ラストエンペラーにつながる清の時代中心の展示物を見ながら奥へ奥へと進みますが、どこまでもその奥が続きます)


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(さらに奥にはこんな長屋のようなところがいくつも。どれだけ多くの官吏が住んでいたのでしょう)

万歩計を持っていなかったけれど、さて、もうどれくらい歩いたのかなぁ…。

故宮見学で呼吸が荒くなりましたが、娘がたてたこの日の棒棒足スケジュールはまだ終わりではありませんでした。

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2007年12月12日

今日的中国漫行紀G「棒棒足その2 胡同を迷い歩く」

万里の長城に「登った」後は北京へUターン。

娘の運転は、なかなかどうして、荒っぽい地元のドライバーに負けていません。右に左に少しでも隙間を見つければ車線変更です。しかし、こんな緊張感のあるドライブにもやがて馴れ、ヒーターつきのシートと暖房、いい陽気が眠気を。Zzzz〜。

目が覚めたら、もう市内。

今、北京はオリンピックに向け、猛烈な勢いで再開発が進められています。

「昔からの町並み」がどんどん消えている。
となれば、迷い込んでみよう、フートン(胡同)へ。

やはり、そこには、なんともなつかしい町並みがありました。
子どもの頃の札幌の町?

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(こんな通りで、くぎ抜きや缶蹴りをしたり、駒を回したり、はないちもんめをしたり…。50年以上前の我が家の前の通りを思い出します)

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(ここは胡同の中でももっとも知られた通り。観光道路化されて少しきれい過ぎ?)

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(床屋さんの回転看板、日本と色は違いますが、同じようにくるくる回ります)


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(ここは景陽胡同。つまり、2文字目は陽の簡体字。ハングル文字よりは漢字の名残りを残している分、あてずっぽうでもあたることが多いのですが、読めないものが結構あります。そのたび、娘に「これは?」)

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(胡同の中には雑貨屋、食堂、郵便局、学校、なんでもそろっています)

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(胡同を迷い抜けると、目の前に大きな池=后海が。ところどころ薄氷が張っていました。中国はどこへ行っても柳が目に付きます)

北京市は二環(環状2号線)内の胡同を観光用に残すことを検討しているとか。

町の姿が変わることよりも、住む人が変わることで、下町独特の人情が消えることを憂える人も多いようです。

そういえば、再開発されたニューヨークのハーレム地区で、あたらしく億ションを買った新住民のクレームで、公園で打楽器を楽しんでいた黒人たちが、いつもの場所から移動させられたとNHKが数日前、伝えていました。

黒人独特のはずむようなリズム感。その情熱的な打楽器演奏は、ハーレムのひとつの文化だったのですが、「うるさい」のひと言で…。

オラが国も含めて、どこにでもある話ですが、サミシイ限りです。

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2007年12月11日

今日的中国漫行紀F「棒棒足その1 万里の長城」

中国の子どもたちに「いつか行ってみたいところ」を聞くと、ほとんどの子は万里の長城、そして桂林と答えるそうです。

ひとつは人間が作り出した構築物で最大のもの、もうひとつは自然が生み出した奇景で誰しも水墨画で見覚えがある山水の世界です。

某日。

この日はよく歩きました。
辛口の四川料理に棒棒鶏(バンバンジー)というのがありますが、この日の夕方の気分は棒棒足(疲)。

まず、北京の北60キロの八達嶺・万里の長城へ。このあたりの人は、長城は「行く」のではなく、「登る」と言うようです。そりゃあそうだ。1000メートル近い山々の尾根そのものが長城なのだから。


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全長6000キロ。北海道から九州まで1往復半した長さで、1個数百キロの重たい石を組み上げた壁の高さは平均7、8メートル。壁と言ってもベルリンの壁のように薄いものではなく、兵士10人が横一列に並べる幅です。

八達嶺・万里の長城は1505年頃の建設といいますから、関ヶ原の戦いの約100年前。しかし、北(蒙古)の脅威がいくら深刻だったからといって、この長さを線で守ろうなんて…。いくら兵がいても足りないと思うのですが。

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(尾根伝いにそのまま構築されているので、平らなところから、斜度40度まで、壁の上は緩急さまざま。急なところは手すりが必要。特に下りが怖い)

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(セーター2枚重ね着、その上にジャケット、そして厚手のコート、手袋、帽子…、それでも長城の上は耳が冷気で痛くなりました)

北に威をかざす軍事戦略的効果はあったのかもしれませんが、延長6000キロの工事に駆り出された民がどれほど疲弊したことか。

国のメンツがかかるオリンピック準備に巨費を投じながら、人々の健康問題、農村貧困問題があとまわしになっている今の中国に似ている?
posted by kathy at 10:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月10日

今日的中国漫行紀E「『残さず食べて』、とは言いません」

日本…出された料理を残すと失礼
中国…残るほど料理を出さないと失礼


ある日の夕食は北京の有名な小籠包レストラン「鼎泰豊(DINTAIFUNG)」で。娘の友人2人と一緒です。

この会社には、一時期、娘が企画・広報スタッフとしてお世話になっていました。

一緒に仕事をしていた中国人の仲間が入れ替わり、立ち替わり「久しぶり!」と挨拶に来ます。次々と…。父親としては、現地での娘の人間関係を覗き見る時間です(結構、みんなとうまくやっているじゃないか)。

↓ 娘が以前の仕事仲間と選んでくれた品々。

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(鼎泰豊の小籠包は芸術的なほど薄い皮で、柔らかくジューシーで実にうまい!以前、出張に行って食べた上海の鼎泰豊の小籠包が感動モノだったので、今回も北京で連れて行ってくれるよう、娘にリクエストしました。鼎泰豊は日本にも高島屋新宿店ほか何店か出店しています)


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(小籠包にはひだが18本、餃子には20本入っています。だいぶ前、NHKの中国特派員が「小籠包を作る職人が減ってきて、質が低下してきたので、業界ではひだの本数を決め、正統の小籠包を守ろうとしている」と報じていました。ちなみに、写真の蒸し餃子のひだを食べながら数えたら、ちゃんと20本ありました)

小籠包2種や写真にはないスープなども入れてなんと10品。娘がベジ子であることを知っている中国人スタッフが野菜の炒め物やサラダ、肉なしチャーハン、日本の油そばのような麺も加えてくれています。

大変なボリュームですが、彼女たちは冒頭に書いた中国のマナー「残るほど出さないと失礼」を、ふだん通り実践しただけのようです。

日本人としては料理を残すのは心苦しいのですが、とても食べ切れません。でも、残ったものは店側が丁寧に容器に入れてくれて、一緒に行った20代の中国人T君がしっかりと持って帰りました(これは娘の計算?)。

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鼎泰豊の料理は油も抑え気味で、味も薄め。一皿の量も少なめなので、日本人には好評ですが、娘によれば、時々、中国人のお客から「量が少ない」との声があるとか。

おいしい料理に誘われて、熱燗の紹興酒も1本完飲。
北京の夜はこの日も大満足でした。
ウィーッ!

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2007年12月08日

今日的中国漫行紀D「♪真っ赤に燃〜える 太陽だからぁ♪」

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♪真っ赤ぁに燃〜える〜 太陽だからぁ 真夏の海 恋の季節なの♪…
美空ひばりの「真っ赤な太陽」は、恋の象徴。

子どもの頃、「渚にて」という映画を見ました。
学校で連れて行ってくれたような記憶が…。

おろかな人間がついにひき起こした第3次世界大戦は核戦争だった。爆発による破壊よりも怖い死の灰が地球全体を静かに覆う。

白くかすむ死の町。たった一人、埠頭で釣り糸を垂れる老人は生きているのか、死んでいるのか…。


今回の中国旅行で、なぜか、その「渚にて」のワンシーンを思い出しました。

(写真右は西安の朝。タクシーの運転手は「これは霧だよ。午後には晴れる」と言いましたが、午後も同じ状態でした。たぶん、クルマの排気ガス、黄砂や工事埃、ビル・住宅の暖房に使う練炭、石炭、重油の燃えカス、工場の排煙などが空気中に漂っているのでしょう。どのクルマの屋根も指で文字が書けるほど灰色の埃で汚れています。おそらく、人間の肺の中も同じ?。お〜、怖)


中国の都市の赤い太陽は、環境汚染のバロメーターかも。
ま、日本の「スギ花粉情報」のようなものですかね。
少なくとも「夕焼け小焼けの翌日は晴れ」なんてかわいいものではありません。

北京に到着した日が火曜日の夜。
翌日からずっと「真っ赤な太陽」ばかり。
こんな汚れた空気を吸い続ける娘の健康が心配でした。

地方を回って再び北京に戻ったのが日曜日の深夜。
翌日の月曜日はなんと、抜けるような美しい空でした。

娘の友人のI さん(中国人)いわく。
「土、日曜日にクルマが減り、スモッグと舞い上がった埃がいったん落ち着くのかも。毎週、月、火曜ときれいで水曜日からまた赤い太陽です。ただ、乾季の今のシーズンは空気中の汚れを雨が流してくれないので余計ひどいのでしょうね」。

なるほど…。

365日、皆既日食のような暗い日が続いたら、人間はクル病になっちゃうし、農作物は育たないに違いないと本気で心配しました。乾季の今は、どうやら1週間に2日、まともな太陽の色になるようです。


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(月曜朝の北京=東郊市場付近はこんなにもきれいな空。しかし、クルマの大渋滞が始まり、都心の火力発電所はモクモクと煙を上げています。水曜日には間違いなく向こうのビルは見えなくなるでしょう。ということで火曜日に北京を立ち去って成田へ)

ここだけの話。

来年、オリンピックを見に行くなら、日曜夜の便で北京に入り、2泊して火曜夜の便で日本にお戻りなされ。
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2007年12月07日

今日的中国漫行紀C「八、六、四、三、そして二胡」

夕べ、久しぶりに津軽三味線のお稽古に。
モロ、練習不足。

適当に弾いた「津軽三下り」、師匠の目にごまかしは先刻お見通しです。
「ちょっと、旅に出かけていたもので…」なんて苦しいエクスキューズをつぶやきながらの持ち時間25分の長かったこと…。

これまで触ったことがある弦楽器…。

 八弦…スチールギター(ハワイアンに使っています)
 六弦…普通のギター(クラシックやフォーク、ハワイアンに)
 四弦…ウクレレ(最近、一番触る楽器)
 三弦…三味線(弦の数は少ないのに、一番値が張る手持ち楽器です)

まだ触ったことがない二弦の楽器といえば、そう二胡(胡弓)です。
今度の旅で二胡を物色しようかな…、なんて漠然と思っていました。

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(朝、西安・長安城壁の下でひとり胡弓を練習する人。アンプを使っているような大きな音を遠くまで響かせていました。小さな楽器なのですが、なかなかパワーがあります)

ところがぎっちょん、値段は2、3万から100万円を越すものまでピンキリ。そこそこ、いい音の胡弓となると30万円は出さなければなりません。

ま、お金の問題だけなら、娘を人買いに売って…、なんてことでもすればできない相談ではありません。

最大の障壁はワシントン条約、つまり、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」。

二胡に貼ってあるニシキヘビの国際取引、つまり輸出が禁止されているわけです。

中国政府のある機関に申請し、許可されれば輸出も可能だそうですが、聞けば最短でも2か月かかるとか。
そんなに長い間、あのスモッグの下で待つ気はありません。

分解してスーツケースに隠し持って帰る?なんて誘惑もないではありませんでしたが、成田で見つかるとその場で皮をはがされると聞いてそれも断念。

十二楽坊の女性のように軽やかに優雅に弾くことを夢見ていたのですが…。
あきらめました。
ニコニコ(二胡二胡) 泣きながら…。

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(北京・天壇公園で早朝から合奏を楽しむ人たち。中央が二胡。右の男性は琵琶のような楽器を取り出しました。kathyだって、へたくそなりに津軽三味線を弾けば、物珍しさだけで人を集められたかも)
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2007年12月06日

今日的中国漫行紀B「急いで降りてください!」

地下鉄の車内アナウンス…。
滞在中の娘が気付いた日本と中国の違いです。

日本 「ゆっくり、お降りください」
中国 「(駅が近づくと) そろそろ準備してください」
    「(到着すると) 急いで降りてください」

地下鉄乗車賃は1、2年前に3元が2元に値下げされました。クルマの交通量を減らすのがネライでしょうが、娘いわく「バスの利用者が地下鉄に移っただけかも」。

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(人が乗車券を売り、改札口で人が切符をもぎります。自動券売機などに設備投資せずに人に仕事を回すのは一種のワークシェアリング?日本のSUICAのようなチャージカードもあり、別々の読み取り機にそれぞれタッチすれば2人乗車できます。娘のカードの世話に何度かなりました)


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(10月に開業したばかりの地下鉄5号線。ピッカピッカです。不慣れな開通当初はホーム側ドアと車両のドアがしょっちゅうずれていたとか)

posted by kathy at 09:49| Comment(6) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

今日的中国漫行紀A「ザボン売り」

「庭で採れたミカンだけど、みんな食べてねぇ!」。
久しぶりにテニスクラブへ出かけたら、仲間のひとりが叫んでいます。

1個、口に入れてみました。
甘みは薄いでのですが、新鮮な酸味はなんとも「なつかしい」。
そう、子どもの頃食べたあのミカンの味です。

正月が近くなると、木箱でミカンを買ってくれたおふくろ様。
きょうだい7人、両親に祖父の10人家族が食べるとあっという間に箱が空になります。

ひとり何個という家族ルールはなかったけど、「ミカンだよ〜」とおふくろ様が出してくれたミカンの数を斜め読みし、ひとり1個なのか2個なのかを瞬時に判断したっけ。

それにしても、茨城でミカンが採れるとは…。
近くの町ではりんごも作っているとか。
いったい、ミカンの北限、りんごの南限ってどこ?

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(左はひそかにリュックで自宅に持ち帰ったザボン。右はテニス仲間が育てた庭ミカン。ザボンのサイズはこれでも中くらい。このあたりを案内してくれたマリン=馬林さんいわく「中くらいの大きさでずっしりと重たく、香りが豊かなのがおいしい」そうです)

実はきのう、果物持ち込み禁止の法度を破り、中国からザボンを持ち帰りました。

今、中国はザボンのシーズン。北京より桂林、桂林よりは陽朔がおいしいといわれるザボン。
陽朔からの帰り道、味見をしたうえで手に入れた1個2.5元のザボンを日本へ運んだのです。

少しの酸味、少しの甘み、少しの苦味…。
ん〜、うまい!

分厚い皮を剥くのが大変ですが、これぞなつかしい野生の果物の味。

甘くなくちゃ果物じゃぁない、という人もいるでしょうが、果物の本来の味は精製した砂糖のような単純な味ではないはず。

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陽朔から桂林へ向かう途中、農家直売のザボン売りと商談成立。左の女性が馬林さん。右のおばさんに1個3元のザボンを2.5元に交渉してくれたのですが、端からはどう見ても大喧嘩。心配になってあとで馬林さん聞くと「いえいえ、愉快なおばさんでしたよ」)

posted by kathy at 21:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日的中国漫行紀@「地下鉄の中で…」

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(夕焼けを追いかけて北京へ向かいます。かつて真っ赤だった中国は、いま何色なのでしょうか…)

しかし、まあ、気持ちはやや複雑です・・・。

地下鉄の中で、生まれて初めて席を譲られました。
席を譲ることはあっても、譲られることはこれまでなかったのに…。

それも1度ならず、3度も。

ところは北京市営地下鉄の車内。

こんなアナウンスが繰り返し流れます。
「中国人民の伝統的な美徳のために、傷病者、老人、助けが必要な人に席を譲りましょう」

どこまで乗っても、他の路線に乗り換えても2元(約30円)の地下鉄。
不思議なことに頭の白い乗客は見当たりません。

why?

娘と同居するIさん(中国人)によると、どうやら、中高年の人は家のそばの停留所から乗ることができるバスを利用しているようです。

「バス代は地下鉄の5分の1。どんなに時間がかかっても安いバスを使うんですよ、年配の人は。1回当たりの差額は大したものではないのですが、毎日乗っていれば1年で大変な金額になりますからネ」とI さん。

つり革の助けを借りる頭の白くて薄いkathyは、特に目立ったんでしょうね、車内で。若い世代には「中国人民の美徳」を実行する格好の対象者に見えたのかも…(好意を素直に喜んでいいやら…トホホ。娘は笑うだけです)。

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(北京・故宮の中で見つけた四つ星トイレ。ホテル、レストラン、景勝地…、そしてトイレにまでランクをつける中国政府のねらいは、たぶん、競争させて質を高めることにあるのでしょう。しかし、今回泊まったある町の五つ星ホテルは、とてもサービス業とは言えないような客あしらいでした。防衛省の事務次官に過剰接待をし続けた日本企業の例もあるし、中国の星の数も実力を正しく映したものではないのかも、と少し疑いたくなります。ただ、中国の名誉のために言うならば、どこへ行っても公共トイレは整備され、想像していたものよりははるかに清潔でした)


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北京に住む娘と一緒に回った中国の旅…。
ゆったり、こってり、時には強行日程でしたが、奥の深いこの国の薄皮ををなめる程度の旅としては十分な8日間でした。

今日的中国漫行紀…。
今の中国をゆっくりと歩いて感じたことを気まぐれにレポートします。

お気軽にお立ち寄りのうえ、気になるところだけ、さぁ、どうぞつまみ食いを。


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(高さ12メートル、周囲14キロの長安城壁の上をママチャリで散策。思った以上にデコボコもあれば傾斜もあちこちに。西安)
posted by kathy at 13:38| Comment(6) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月02日

みちのく紅葉紀行 C「おもてなし…って」

今回のみちのくの旅は2泊3日。1泊目は浄土ヶ浜の北方の漁港、田老、2泊目は山形県の山ふところ、瀬見温泉。

異なる2軒の宿に泊まり、「おもてなしとは…」をあらためて考えさせられました。

田老・●●観光ホテル(名は伏せておきましょう)。

基本的な挨拶ができません。笑顔がありません。夕食時には係が厨房の方で休憩。あたためものの火を付け忘れたままです。添乗員が呼びに行く始末。バイキング朝食では、眠そうなブスッとした顔で、よそったご飯を無言で差し出します(「おはようございます」くらい言え!)。

瀬見温泉・観松館

平成天皇が2、3度泊まっているだけあってもてなしに隙がありません。浴衣のサイズ替え、食事の際の出迎え、食事中の気遣い…。いつでもどこでも明るい笑顔で声をかけてくれる気持ちのよさときたら。

片や海、片や山。得意とする食材を料理に生かすのが当たり前ですが、あたため方、出す順序には板前さんの心配りが映し出されます。

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(田老・●●観光ホテルの夕食。あたため鍋にはエビ、ムール貝、タラと野菜。このほかに小粒アワビの踊り焼きなど海の幸が主体。図体だけが大きい船盛りが上方にでしゃばっています。下のタラバと毛ガニは身があまり詰まっていないので、ミソを中心に口に運びました。いずれも味は悪くないのですが、板前さんの「愛情」がどうも感じられませんでした。料理のことは接待スタッフに聞いてもほとんど答えられません)


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(瀬見温泉・観松館の夕食。鍋は山形の秋の風「芋煮」。肉は米沢牛。右の空いた皿にはあたためた鮎が運ばれます。右上のあたためものはここだけで食べられる「ジャンボマッシュルームのガーリックバター蒸し」。最初にマネジャーから食事内容全体の説明があります)


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(観松館の接待スタッフ。食事の進み具合を見ながら、めいめいの皿に火にあぶったアユをおいて回ります。料理について聞いても、スラスラと答えた彼女は、翌朝、バイキングで混雑している中、我々のテーブルまで来て元気な笑顔で「おはようございますっ!」。こんな気持のいい挨拶を受けると、「よし、今日もがんばるぞ」って気になります)


結局、客に対する「経営者の心」の高さとそれを従業員全員に浸透させる教育のレベルでその宿のもてなしの濃さが決まるのでしょうね。

この9月までNHKでやっていた連続ドラマ「どんど晴れ」の中の老舗旅館・加賀美屋のもてなしの心は「来る者 帰るが如し」でした。

気持のいいもてなしを受けた宿には、もう一度行きたい(帰りたい)と思うものですが、逆の場合は「2度と行くもんか」です。

せめて挨拶をきちんとする、笑顔で客と接する、こんなことは経営者の姿勢次第で難なくできるはずなのですが。それも経費をほとんどかけずに。

田老漁港には大きな宿は●●観光ホテルだけ。生死をかける「競争」がないことが、「現状」で満足させているのでしょうね。
posted by kathy at 12:26| Comment(6) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月01日

みちのく紅葉紀行 B「見っけたかい? 紅葉」

「紅葉紀行」と題しているくせに紅葉情報は何もないじゃないか、とお叱りを受けそうなので、少しばかり。

<22〜24日現在>
●(平地部)回った東北各地の紅葉は全体的にはいま少しの段階。散発的には見事に赤く燃える木々も見かけました。今ごろが見ごろでしょうか。

●(山間部)鳴子峡はかなり色づいていましたが、あと2、3日というところ。蔵王の上のほうはすでに「終わって」いました。

去年、京都の見事な紅葉を見てきましたが、京都は人の手が入った美しさ(記事はこちら)。東北の山々の紅葉はほぼ自然のままのように見えます。

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(遠野のカッパ橋付近で見かけた楓)


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(鳴子峡。あと2、3日で見ごろという段階でした。そういえば、この夏、鳴子のひとつ先の鬼首温泉に泊まったっけ。記事はこちら


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(鳴子峡で紅葉をバックに。一門でバスを仕立てての3日間の旅でした。飲めや歌えの道中ではしょっちゅう「トイレ休憩、お願いしま〜す」の声でバスストップ)


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(最上川で1時間の「芭蕉ライン舟下り」。女船頭の語り、唄と色づいた山々が船を貸しきった我々を飽きさせません)
posted by kathy at 10:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月30日

みちのく紅葉紀行 @「浄土とは…」

2日間の「川越散策」(20、21日)の翌日からは東北の旅へ(22〜24日)。三味線・民謡の一門27人がバスを仕立てて岩手、山形の秋を楽しんできました。

師匠が教えている2か所の教室の相互親睦が目的ですが、私にとっては皆さん、兄弟子、姉弟子ばかり。緊張する3日間でしたが、ま、帰る頃には何とか。

1日目は常磐道→磐越道→東北道→盛岡IC→(国道106号線)宮古→浄土ヶ浜→船でリアス式の三陸海岸を海から眺めて、泊まりは田老漁港。

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(浄土ヶ浜。不思議な光景です。現世のなまぐさ生活を謳歌している身には浄土や天国を知るすべもありませんが、誰しもあの世は恨み、つらみ、邪念のない美しいところであってほしいと願っているはず。いろいろな温泉に「地獄谷」と名付けられた場所がありますが、こちらはその逆でしょうか。小石を敷き詰められた浜、その向こうに荒波で浸食された岩。へばりつく松。どんなに腕の立つ庭師でもこの景色は作れません)


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(急に曇ってきた中で、氷山のような真っ白い岩のところだけに陽が当たって…)


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(旧国名陸前、陸中、陸奥を結ぶ三陸海岸。のこぎりのようなリアス式の険しい海岸が続きます。しかし、ノコ刃とノコ刃の間には天然の良港が)


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(このあたり、ウミネコの生息地としては日本一。カモメよりやや小柄で、名の通り「ミャ〜オ」と鳴きます。船の上では、エサを求めて、ホレ、こんなに近くに)


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(民謡の世界は三味線、尺八、太鼓、お囃子でフルオーケストラ。最初の夜は交替で1曲ずつ披露し、それを肴にググ〜イ。師匠から「宴席だから”常磐炭鉱節”でも歌ったら」と言われたkathyは「♪朝も早よからヨ〜、カンテラ下げてナイ…♪」とうなりました)


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(泊まったのはリアス式海岸の北端に位置する田老町。現在は宮古市。津波に何度も打ちのめされて、港の周りには高さ10メートルの防潮堤がぐるり。1960年のチリ地震津波では三陸海岸を中心に142人の死者が出ていますが、この”長城”のおかげで田老町は人的被害が皆無だったとのこと)


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(町のあちこちにこんな標識が)
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2007年10月29日

40年ぶりの再会 C「30台の華麗な山車を曳き回す…川越まつり」

360年前に始まった川越まつり。山王祭、神田祭の流れを引くと言われます。

町内ごとに保存されている30台の山車は見事なものばかり。うち11台が県や市の指定文化財となっています。

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(頑丈な台車の上に二重の鉾を組み、上層に等身大よりやや大きい人形を載せ、下の鉾には囃子台がついています。鉾は台車の上で回転し、人形はせり上がります。舞台では大太鼓1人、締太鼓2人、笛1人、鉦1人のお囃子に合わせておかめ、ひょっとこ、狸、猿、天狐などの面をつけた1人が踊ります。狭い場所ですが、実に上手にそれぞれの役回りをこなしています。山車は綱引きに使うような太いロープで数十人が引きます)


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(明かりが入った夜の山車はまた違った趣が)


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(電線のある通りでは、上層に男衆が上ってゴム手袋をはめた手で1本1本持ち上げます)


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(山車の車は鉄枠をはめた木製。自動車のようなハンドルはついていませんから、方向を変えるときは、釘抜きの化け物のようなご覧の道具でヨッコラショ)


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(ここまでやるかぁ! かつらではありません)


川越市の人口は33万人。市の発表によると10月20、21両日の川越まつりの人出は115万人でした。道理で歩けなかった…。

40年ぶりに会った仲間との川越の2日間、今回で報告を終えます。
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2007年10月28日

40年ぶりの再会 B「小江戸、川越を歩く」

誰がいつ言い出したか、川越は「小江戸」。小京都ではありません。
入間川、荒川に挟まれ、うなぎなどの川魚料理の看板が目立ちます。

古い建物がそっくり残る街並みを歩いてもよし、名所旧跡を訪ねてもよし、名物の芋菓子屋でひと休みしてもよし…。少し頑張れば自分の足で回れる町のサイズが気に入りました。

住んでみたい町のトップランカー常連だけのことはあります。
川越祭でど〜んと人口が膨れ上がった時期の訪問でしたが、こんどは「ふだんの顔」を見に行きたいものです。

限られた時間の中で訪れることができたところをスライドショー風にご紹介。
40年ぶりに再会したみんなを案内してくれたのは、もちろん川越在住のY子さん。以下の説明はほとんどY子さんの受け売りです。

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(「蔵連ね 小江戸の祭 秋の雲」by kathy。町なかの郵便局は蔵の中でした。めざわりな紅白幕のないふだんの日にまた来てみたいなぁ…)


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(東明寺境内の大イチョウの木。見上げるとびっしりと銀杏の実が。いっせいに降って来たら圧巻でしょうね。ここには上杉、北条の「川越夜戦の跡」の碑があります)


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(市内を流れる川の飛び石の上で鴨が休んでいました。この先は桜の名所。春には花見船が通るそうです)


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(氷川神社境内。ここには柿本人麻呂神社もあります。歌道、学業の神であると当時に「火止まる(防火)」、「人産まる(安産)」の神でもあると書いてありました。後世の欲張り宮司さんが考えついたのでしょう。ご本家の人麻呂さん、さぞかし目を丸くしている?)


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(川越城の本丸跡。松平が入っていたので、屋根のてっぺんには三つ葉葵のご紋が)


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(三芳野神社はわらべうた「とおりゃんせ」の舞台とか。「♪行きはよいよい、帰りは怖い、怖いながらもとおりゃんせ…♪」。電気のない時代、もっと暗かったのでしょう)


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(川越「時の鐘」。想像していたのよりもずっと大きい火の見櫓でした。朝、櫓の足元にある社に地元の人がお参りしていました)


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(徳川三代将軍家光の誕生の間がある喜多院。江戸城の紅葉山別殿を移築したもの。時間切れで中には入れませんでしたが、慈恵堂など、見てソンしないものがぎっしりとか)


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(喜多院境内にある五百羅漢。一体ずつ面接して行くと、必ず自分の顔が見つかるそうです)


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(喜多院裏手の「どろぼうはし」。丸木橋だったむかしのころ、境内がご神領で川越藩の町奉行の手が及ばないいわば治外法権の地であることを知っていたある盗賊が町方から逃れ、ここへ逃げ込んだんだと。でも、寺男に捕らえられ、寺僧に諭された男は、このままでは悪いことが降りかかることを知り、心から悔いてここの厄除元三大師に許しを請い、悔いて真人間さなったんだと。寺は幕府に男の措置を願い出たところ、幕府も偉かった。「無罪放免」だと。男は町方の世話で奉公先を見つけ、生涯まじめに働いたんだとサ。 どんど晴れ〜)


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(通りと通りの間にはこんな抜け道が。幅1メートルもありませんが、助かります)
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2007年10月25日

秋祭に紅葉狩り…「どこまでも 高くなあれ 秋の空」

ずいぶんといいお天気が続いていますね。

先週の土曜日から小さな旅をふたつ、ハシゴしてきました。

ひとつはとある町の秋祭(20日〜21日)。

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もうひとつは少々遠出の紅葉めぐり(22日〜24日)。

071023naruko.JPG

いつものひとり旅ではなく、ふたつとも仲間と一緒。
晴れ男の面目躍如、この5日間はすべて「天高く 雲ひとつなし 秋の空」。
すばらしい旅日和でした。

今日は、人と会うため、これから霞ヶ関(東京)に向かいます。
ということで、旅の報告は改めて…。

 *↓下の日記で「久しぶりのカイロプラクティックでイテテ!」などと書き、あらたな記事アップをサボっていたものですから、一部の方には「ついにkathyも命運尽きたか」とご心配やら期待やらを抱かせました。
なんの、なんの、ただただ違う空気を吸いにちょいと出かけていただけです。そうそう簡単に悪運尽きてたまるもんかい(ふふ)。
posted by kathy at 16:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月19日

秋深し くちパックリの アケビかな (オソマツサマ)

砂糖をまぶしたように甘い梨に柿、遅い紅葉…記録的だった夏の猛暑は、秋にもいろいろと影響を。

かと思うと、北国からは紅葉よりも先に「初雪(初冠雪)」の便りが届いたり…。
油断できません。

朝晩の冷え込みがいっきに進んでいます。
周りには風邪をひく人も目立ち始めました。
「投薬」に頼る前に「暖かい格好」をしますか。

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(テニスクラブのアケビが口をあけました)
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2007年09月17日

フラガールにも会えず…。

終末帰宅の息子、一時帰国の末娘、カミさん、義母、私の5人で小旅行です。

大洗のいつもの宿(鴎松亭)で温泉に浸かるだけのつもりでしたが、せっかく茨城を北上するなら、いわき(福島県)まで足を伸ばして憧れのフラガールに会ってくるか、なんて欲を出したのが大間違い。

映画「フラガール」の舞台、スパリゾートハワイアンズはプールはもちろん、露天風呂もショーを見る舞台の前も、昼食を食べるエリアも、通路までも人、人、人…。

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(この1枚を撮り、ひょいと脇を見たら「カメラ撮影禁止」の看板。オーミステイク!)

3日連続30度超の猛暑。おまけに3連休の真っ只中。海は土用波で遊泳禁止とあっては、人が集まるのはこういうところなわけです。90歳近い義母を連れてフラフラ歩く一団には危険極まりない空間です。

入場料3,150円×5人=15,750円也を払って入りましたが、お目当てのフラガールたちの踊りも見ずに露天風呂にだけ入って早々に退散です。日帰り湯だけにしては高くつきましたが、ま、殺されずに済んだと考えましょう。

その足で大洗へ。こちらは落ち着ける宿です。
全室、オ−シャンビュー。
けさは海と雲の合間から朝陽が挨拶してくれました。 

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(5時40分撮影)

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(鴎松亭の夕食。このほかにてんぷら、焼き魚、茶碗蒸し、吸い物にご飯。丁寧な料理には感心しますが、ちと年配客には品数も量も多すぎます)

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帰りはいつものように那珂湊の魚市場へ立ち寄りです。干物2種、活きイカ、ワカメを買い、寿司屋で軽くつまんで自宅へとトコトコ走ります。

この暑さの中、年寄が乗っているとなると、普段はあまり使わないエアコンもフル稼働です。おまけに乗客5人。さすがにお疲れ気味のわがプリウス君の燃費は1リットル当たり20.6kmでした。
posted by kathy at 15:04| Comment(6) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月18日

暑さ納めの小旅行…千葉県館山

お盆休み明けのきのう(17日)、今日(18日)、ウクレレ仲間と千葉県館山へ小旅行です。

同市で行われたハワイアンフェスティバルを見たり、持参のウクレレを弾きながら宿で歌ったり、踊ったり…。ま、いつもの大騒ぎパターンですが、異常だった今年の夏の暑さを納める意味でいい旅でした。

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(おもにアマチュアのハワイアンバンドやフラグループが多数出演したハワイアンフェスティバルは、上手下手がよくわかる意味で大変参考?になりました。それにしても、きのうはまだまだ暑かった。私もへそを出したい!)

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(宿のすぐ前は富崎港。金目鯛、アジ、むつ、アワビ、ツブ貝、カツオ…、夕食にはご覧の大きな船盛がふたつも。10人では食べきれませんでした)

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(ところはハワイ? いえいえ、ここは房総半島最南端の野島崎灯台。150円を払って灯台の上に昇ると太平洋をぐるりと見渡せます。あらためて水平線が直線ではないことを実感しました)
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2007年07月27日

北帰行2007〜R「満タンで1000キロを達成…マイ・プリウスの旅」

今回の北帰行の旅は、マイ・プリウスに乗って行きました。
全走行距離は2082km。

満タンで自宅(茨城県南)をスタートし、東北を縦断して青森から北海道へ。

最初の給油地は北海道の八雲町付近。走行距離842km。高速部分が多かったせいか、あまり伸びません。

2回目の給油は最終日の苫小牧。

実はこの1回目と2回目の給油の間に走った距離が1040km。目標だった「満タンで1000km」を達成しました。リッターあたり24.4km走った勘定です。

急発進をせず、飛ばさず、アクセルは軽く踏んで滑走し、下り坂ではエンジンブレーキを使って充電する…、いろいろなことを試した旅でした。

信号が少ない北海道の道とは言え、平坦なところばかりではありません。いくつものけわしい峠道があったことを考えれば、「満タンで1040km」はよく頑張ってくれた数字でしょう。

sf_sapporo.jpgお疲れさまでした。マイ・プリ君。

帰りのフェリーは「さんふらわあ号」。
ドライバーは上の客室、マイ・プリウスは下の車両甲板で19時間しっかりと休養しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

19回にわたって連載してきた「北帰行2007」シリーズは今回で終わります。
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2007年07月25日

北帰行2007〜Q「拝啓 おふくろ様(3)」

拝啓 おふくろ様 (3)

「無事に定年退職しましたよ」と伝えに帰ったおととしの夏。
「退職後も健康で楽しい毎日を送っていますよ」のメッセージを携えた去年の夏。

そして今年は。
そう、今年はインフルエンザや食道裂肛ヘルニアをこの春わずらったおふくろ様が心配で帰りました。

  *2年前に書いた「拝啓 おふくろ様(1)」はこちら
  *1年前に書いた「拝啓 おふくろ様(2)」はこちら

特に食道裂肛ヘルニアは腰が曲がっている年配者に多い病気で、胃が食道にめり込んで食べた物が下へ流れにくくなり、胃液が逆流して胃酸が食道を荒らし、潰瘍ができてさらに食道が詰まり吐き気を繰り返す厄介者です。

おふくろ様自身、一時は「観念」したようですね。子どもたちもずいぶんと心配しましたよ。ボクも北海道に帰る時期を早め、礼服も持っていこうか、なんて一時まじめに考えました。

だけど、顔を見たとたん、その心配はすべて吹っ飛びました。聞けば「どこも痛くないよ。食欲はあるよ。よく眠れるよ」だって。一緒に住んでいるヒロの献身的な看病のおかげですね。

お墓参りに誘ったら、「うちを空っぽにできないよ」と行くのを渋りました。でも墓苑に着いたらシャカシャカとしっかり歩いていましたね。そして、家に帰ったらしみじみと言ってくれました。「お墓に行ってよかった」と。

去年はお寿司を残し、少し吐きました。が、今年は1人前をペロリ。体のほうは去年よりも健康なようです。

でも、耳は一段と遠くなり、物忘れがひどくなりましたね。62歳の息子だって結構、忘れっぽいのだから、その1.5倍も生きてきた94歳のおふくろ様の物忘れは歳相応のことなのかもしれません。

ohukuro.JPG息子のジャケットのボタンをかがってくれました。ボタンかがりくらいは、ボクでもできますが、ちょっとおふくろ様に甘えてみたかったのです。でも、裏表逆に付けてしまったおふくろ様。

人間って、できることがどんどん「増える」時期と「減る」時期がどこかで交差するのでしょう。そして、そのうち足し算よりも引き算の方が多くなっていくのかもしれません。

若いときのおふくろ様は、それこそスーパー母さんでした。知恵も体力もとてもかないませんでした。でも、ボタンかがりのように、かつて難なくできたことが今はむずかしい作業になっています。

あれもこれも「できる」状態で長生きはできないのかもしれません。忘れていいものは忘れ、できなくていいものはできなくなる…、それが人の歳のとり方として自然なのでしょう。

来年はおやじ様の13回忌。これは、おふくろ様の重要な仕事ですよ。それを終えたら、次は100歳、つまり1世紀を生きることをめざしてくださいな。
ね、おふくろ様。

posted by kathy at 10:53| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月24日

北帰行2007〜P「ラーメン、らーめん、ramen…」

知る人ぞ知る「超メン食い」kathyの戯れ句。以前にも書きましたが…。

「朝うどん、昼にラーメン、夜パスタ」  kathy

一時、この句のような生活を毎日送っていましたが、さすがに今はもう少しましに。

でも、四国に行けばうどん、北海道にやって来ればラーメン。

今回の「北帰行の旅」は、「ラーメン行脚の旅」でもありました。

7、8杯は食べたと思いますが、その一部を写真でおすそ分け。

ramen1.JPG ramen2.JPG

ramen3.JPG ramen4.JPG
posted by kathy at 09:46| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月23日

北帰行2007〜O「クマと遊び、クマにおびえる」

今朝の新聞に散歩中の女性2人がクマに襲われてケガをしたとの記事が載っていました。群馬県の四万温泉の近くに現れたこのクマはツキノワグマ。小熊2匹を連れた母クマは、何かから子どもを守ろうとしたのでしょう。

北海道のクマはヒグマです。体長2.0〜3.0m、体重400〜500kgくらい。月の輪の10倍近くになる巨大なクマです。

登別温泉にあるご存知「クマ牧場」に生まれて初めて行ってみました。

kuma2.JPG


kuma3.JPG 
飼育係の女性によれば…。
「ヒグマは獲物を追いかけるときは時速60kmのスピードで走ります。木にも登ります。つまり、逃げても、木に上ってもダメです」。

じゃ、どうすりゃいいの?
「クマが一番怖いのは人間です。だから、鈴などの音を鳴らして、人間がいることをまずクマさんに知らせてください。そうすれば、向こうが逃げてくれます」

だって、鈴も持たずにいきなり遭遇することだってあるでしょ。
「そんなときは、逃げずにじっとクマと目を合わせてにらめっこです。ほとんどのクマは、黙って去っていきます」

クマ牧場のクマさんたちはここで生まれた2世、3世たちなので、人間はエサをくれる存在。慣れていますから、鈴を鳴らしてもビクともしないとのこと。そんな実験もしてくれました。

kuma1.JPG
(そして、翌日。旅の途中、休憩で立ち寄った公園に、こんな看板が。最新のクマ目撃情報は約2週間前。平日であたりには誰もいません。奥にはきれいな沼があるそうですが、鈴もなく、「にらめっこ」にも自信がないので、スゴスゴと…、ハイ、こちらから身を引きました)
posted by kathy at 10:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 旅する | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする