2009年01月21日

オバマさん、死なないでくれよ

オバマ大統領、ついに誕生です。

19分間の演説の中でもっとも心に響いたのは後半の次の部分。

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私たちは新しい課題に直面するかもしれません。取り組むための道具も、新しいものかもしれません。しかし私たちが成功するには、勤勉や正直、勇気や公平、寛容と好奇心、忠誠と愛国心といった価値観が必要なのです。昔からの古い価値観です。

真実の、本物の価値観です。そういう価値観こそが、私たちの歴史をずっと静かに前進させてきたのです。

今何が求められているかというと、こういう真実に立ち返ること。私たちに今求められているのは、新しい責任の時代に入ることです。

全てのアメリカ人が、自分たち自身への責任と、国への責任と、世界への責任を認識することが必要です。
嫌々、不承不承に責務を担うのではなく。難しい仕事に全身全霊を尽くすことほど、心が充実し、人格を作り上げてくれるものはないのだとしっかり認識した上で、進んで喜んで責任を受けいれることが、今必要なのです

それこそが、市民社会の負担と約束です。

私たちの自信も、そこから来るのです。不確かな運命を自ら作り上げていくよう、私たちひとりひとりに神が求めてくださっているという、その認識に支えられているのです。

私たちの自由と、私たちの信念には、そういう意味があるのです。

なぜあらゆる人種と信仰の人々が、男性も女性も子供もみんなこの素晴らしいナショナル・モールにこうして集まり、一緒に祝うことができるのか。

60年足らず前だったら、この辺のレストランで食事さえさせてもらえなかったはずの父親をもつ男が今、こうして最も崇高な宣誓をするために皆さんの前に立つことができる。


ぜひ今日のこの日、自分たちが何者で、どれだけ進歩してきたかを改めて心に刻んで、記念としましょう。

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私が高校生の頃、エスペランティストだった長姉(故人)がこんなことを言いました。

「再び世界戦争になったときは、最後の最後は同じ白人同士が手を組むだろう」

エスペラント語を通じていろいろな国の人々との交流があった姉は、「肌の色の違いは理性によって理解しあえる、とみんな言うけれど、最後の段階では感情が受け入れを拒むだろう」と考えていました。

アメリカには白人至上主義者団体(XXX)や全米ライフル協会などの圧力団体のほか、さげすみの目を持つ多くの差別主義者、狂信者たちがいます。

リンカーン、ガーフィールド、マッキンリー、ケネディの各大統領、そしてキング牧師やロバート・ケネディ司法長官などの進歩人らが暗殺された負の歴史を持つアメリカ。


オバマさんが乗る「大統領専用車」のドアの厚みはなんと20センチ。
戦車並みだそうです。

アメリカの大統領になると決まったときから、すでに「死を怖れずに」、「身を挺して」の覚悟は当然できているだろうオバマさん。

だけど、その活躍を期待する以上に願うのは、大統領になったがゆえに命を落とさないことです。

posted by kathy at 11:57| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月26日

師走3題…まとめ書きが多くなりました

最近、まとめ書きが多くなりました。

ブログへのアクセス件数を気にしなくなったせいですかね。


1、年賀状…


ふ〜、ようやく完了。

退職後4回目の正月です。

義理で出す先はどんどん整理してきたので、「旧年中は…云々」なんて型どおりの文を書く必要もありません。

それでも、慣れてしまった裏表の印刷をやめるわけにも…。
結局、肉筆は「ひと言」添えるだけ。手抜きはいつもながら、でした。


2、総集編…

年末のテレビ番組は総集編や再放送が多くなり、見られなかった秀作に触れるチャンスが増えます。

中でもきのうまで3夜連続で再放送された「フルスィング」(NHK総合。6回分)は光っていました。

59歳で九州の高校教師になったに実在の元・プロ野球打撃コーチの物語。

生徒、他の教師とま正面から向き合い、すい臓がんで亡くなるわずか1年1か月の間に多くの教えを残します。

専門化して、ともすれば排他的になりがちな教育の現場に、「他の世界」で一流の仕事をしてきた人の経験と気迫がいい刺激を与える一例です。

それにしても、最後のホームルームのシーンには涙、涙、涙。


3、師馳す(しはす)…

きのうは近くの医院へ。月1度、血圧の薬を1か月分もらってくるのですが、なんと待ち時間2時間半!

9時オープンのところ、9時5分に医院に入って渡された順番札は28番。すでに待合室は超満員でした。

ようやく診察を終えて隣の薬局でクスリを渡されたのが11時35分。

女医さんひとりのこの医院。

センセは昼休みもとらずに走り回ったことでしょう。坊主じゃないですが、こちらも間違いなく師馳す(しはす)です。

だけど、あんな待合室に2時間半もいたら、風邪をもらいそう…。
息もせず、目も閉じて、ヘッドホンから流れる音楽に集中。

posted by kathy at 11:53| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月19日

「気のせい」 in 師走

12月も残すところ10日あまり。

何となく気になること…。

以前はこの時期、どこに行っても流れていた♪X’mas ソング♪が、どうも少ないような…。

カミさんや知人にこのことを話すと、「そういえばそうねぇ…」。

気のせいですかね。


そして、「喪中につき」の年賀辞退の案内葉書。

その数、いつもより多いような…。

これも気のせいですかね。
posted by kathy at 10:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月11日

満州からの引き揚げA「ふたりの母」

敗戦の色濃い昭和20年(1945)4月2日、私は旧満州(現・中国東北部)の撫順市で生まれました。

北大工学部を出た父が選んだのは満鉄(満州鉄道)。
ヤル気のある男には、国策会社「満鉄」は魅力が大きかったようです。

私は長姉、長兄、次兄、次姉に次ぐ5番目の子。
何不自由ない暮らしが保証されているはずでした。

しかし、ほどなく終戦。

混乱の中、翌21年(1946)7月4日、母Y子が腸チフスで命を落とします。
私は1歳3か月。結局、母Y子の記憶がまったく残らないことに。

その4日後(7月8日)、長兄、次兄が遠い親戚の男性に連れられて引き揚げ船に乗りました。
たぶん、父は病死した母の後始末のために残ったのでしょう。

同じ21年11月、今度は長姉、次姉、そして私が父と一緒に引き揚げました。

そのとき、私は1歳半。
道中は父と長姉が代わる代わるおぶってくれたはずです。

先に帰国していた長兄、次兄と亡母の実家(熊本県上益城郡)で合流し、その年の暮れにはそろって父の実家がある北海道北見市へ。

翌22年(1947)夏、父は今の母S子と再婚します。

その頃、私は満州で病死したと同じ法定伝染病のチフスに罹りました。この病気で死ぬ人は当時ずいぶんと多かったようです。

後に父が語ってくれた話---。

医者が「もう打つ手はありません」という段になって、父が「何が欲しい?」と聞いたところ私は「おここ(おしんこ)…」とつぶやいたとか。

「どうせ最期なら食べたいモノをあげよう」と父はおしんこを与えました。

おいしそうに食べた私は不思議にも程なく元気をとり戻していったそうです。

初婚でいきなり5人の母となったS子の一番の気がかりは「末の子が育つかどうか」でした。

この12月に96歳になった母S子は耳がずいぶん遠くなり、認知症も進んでいますが、なぜか当時の記憶は鮮明。

「栄養失調で細い足に大きな頭を抱えたお前は、2歳なのにまだ歩けなかった。だから母さんが家事や畑仕事のときもいつもおぶっていた。お前の足はホントに冷たくてねぇ。おんぶしながらさすっていたヨ」


前にも書いたことがありますが、母S子に何度かこう聞いたことがあります。


「どうして5人の子持ちだった父さんのところにきたの?」

母の答えはいつもこうでした。

「戦争に負けて何もかもが壊れてしまった。女がしっかりしなければ国は滅びる。だから、父さんとの結婚の話があったとき、自分がやらなければ、と本当にそう思ったんだよ」

その母は後に2人の妹を産み、私のきょうだいは7人となりました。


健康にボクを産んだあと死んだ母Y子。

死にかけたボクときょうだいたちを健康に育ててくれた母S子。
満州にかけた夢が破れ、結局逃げ帰ってきた父とその後の半生。

想い以上にうれしいこともあれば、願い届かず絶望したり、半ばで倒れることもある…。

どれもこれも人生。

コントロールできないことばかりですが、懸命に生きて、その結果を受け入れる旅が人の一生なのでしょう。
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2008年12月10日

満州からの引き揚げ@「155万人残留の政府方針」

一昨晩、NHKスペシャル「引き揚げはこうして実現した」を見ました。

1945年8月8日のソ連参戦とともに日本軍(関東軍)は逃げ去り、開拓農民、産業従事者、技術者など民間人155万人が旧・満州に取り残されました。

155万人のうち24万人が集団自決、病死、餓死などで彼の地で命を落とし、日本の地を再び踏むことができたのは、中国に残されたものを除く105万人。

私もその105万人のひとりでした。
番組のテーマは他人事ではありません。

今回、初めて知ったのですが、終戦時の日本政府の方針は、「満州居留邦人約155万人はそのまま中国に残留させる」というものでした。

日本自体が焦土と化しており、当初、日本人の引き揚げは絶望的と思われていたようです。

ところが、終戦から2年ほどでその引揚がほぼ完了します。
なぜか?

最近、当時の公文書が多数公開され、実は引き揚げ決定をめぐって米、中、ソ連が激しい駆け引きを繰り広げたことが明らかになってきました。

ソ連の満州侵攻を機に中国東北部はソ連・中国国民党・共産党、三つ巴の「草刈り場」に。

棄民となった日本人、中でも技術者を復興に「留用」しようと取り合いが始まります。

その中で、アメリカは拡大する共産勢力を抑え、同時に日本人を他勢力に利用されない方策を模索していました。

それが、艦船の大量動員。
LST(上陸用舟艇)までかき集めました。

「共産勢力に対抗する国民党の兵を送り込む」船と、
「日本人を共産勢力に利用させないために日本へ送り返す」船…。

アメリカのこの一石二鳥作戦が、結果として日本人の早期引き揚げにつながったわけです。


ふ〜。
知りませんでした。

満鉄の技術者だった父も「残って復興に協力せよ」と迫られたのでしょうか。

中国に残されたかもしれない私と家族…。
12年前に死んだ父から引き揚げ時の様子を詳しく聞かなかった後悔…。

戦後、63年。

この番組は、自分史を振り返るひとつの機会を与えてくれました。
posted by kathy at 10:46| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月27日

アンジェラ・アキの「手紙〜拝啓 15の君へ〜」…。

アンジェラ・アキの「手紙〜拝啓 15の君へ〜」…。

数か月前、NHK番組で中学校を訪ねたアンジェラ・アキが生徒の前でピアノ弾き語りで歌っていました。

その歌が合唱コンクール中学の部の課題曲になっています。

中学校…。

遠いむかしのことですが、あらためてこの曲を聴いて不覚にも涙が…。

15の春に思ったこと、考えていたこと。
そして、それから48年たった今の自分…。

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posted by kathy at 21:10| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(1) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月24日

ふ〜。

ネット世界の「三途の川」から戻ってまいりました。

マイブログがいきなり「消えちゃった!」のが21日。
友人からの「アクセスできないけど…」の連絡で初めて気付くドジ野郎です。

自分で自分のブログにアクセスしても当然ダメ。

1000件を超えた記事はいずこへ?

運営会社に問い合わせると…。

他者が著作権を持っている楽曲や歌詞、写真などが無断で掲載されているので「停止」した、ということでした。

権利の保有者から許諾をもらっているかどうかの確認のメールを事前に送ったが、その回答がなかったので閉じた、という説明ですが、私にはそのメールを読んだ記憶がありません。

迷惑メールが多発してメールアドレスを変えたり、パソコンの調子が悪かったりのトラブル続きだったので、見落したのかもしれません。


「日記に」趣味の音楽活動を記録することも、感動した映画をそのワンシーン(写真)を添えて紹介することも著作権法から言えばダメ。

例えば曲名はOKでも、メロディと歌詞はNO。映画の題名はいいけど、写真はダメ。

たとえ趣味の世界でも、不特定多数が見る公衆媒体を使って表現することはいけない、というわけです。

善意も悪意もごった混ぜのワンルール。

「どうでもいい」ことにはもう少し「おおらか」になってほしいものですが、世の中その逆にどんどん突き進んでいるようです。

ブログはまだ10歳前後の若い媒体。

子どもだと思っていたのですが、先輩媒体からいろいろとたたかれる存在にまで育ってきたということなのでしょうか。


マイブログへ遊びに毎度お越しいただいている諸姉諸兄にはご心配、ご迷惑をおかけしました。

今回の事例、「明日はわが身」と受け止めていただければ…。

posted by kathy at 23:13| 東京 🌁| Comment(14) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月16日

一番下からものを見る

kosannji.jpgおととい、NHKプロフェッショナル・仕事の流儀を見ていたら落語家の柳谷小三治の生きざまが紹介されていました。

18歳で落語の世界に足を踏み入れて50年。

いま68歳の彼は自分のことが嫌いな人間だと言います。

「陰気だし、あれこれ悔やむし…」

その彼がこんなことを…。

「落語の世界で教わったのは『一番下からものを見る』ということです。落語に出てくるのはダメ人間ばかりですからね。だけど、助け合って生きている。また病気(リュウマチ)の辛さを通じて人の痛みも知りました。周りの人に助けられるありがたみの中で生きているんですね、我々は」

このことは、組織の中にいたときいつも感じていました。

支店や工場、顧客を回らなくなって「物事を上からしか」見られなくなったら本社の幹部たる資格はないと。
posted by kathy at 21:12| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月02日

天災、気が萎える、プロとアマ、フラと腰痛…

天災だって向き合えば…

北海道の友人から「大丈夫?水没していない?」と電話。
テニスクラブの仲間からは「ボート乗って出てきたの?」と冷やかされ…。
の豪雨・雷鳴の毎日でしたが、きのうは久しぶりにお湿り無し。

わが団地は市内でも一番の低地にあって、ちょっとした雨で家の前の道路は冠水し、庭までは年数回、床下は数年に1回、床上は20年に1度で泣かされてきました。それが、ここ数年ぱったり。

高い位置から流れ込む雨水のルートを変え、遊水地にためた水を地下トンネルで下流にバイパス放流する治水、土木工事が功を奏したようです。天災だって、向き合えば、ある程度容赦してくれるってことですかね。

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「気が萎える」…

自分にこの仕事は無理と思い始め、敵からはいつも攻撃され、身内からも足を引っ張るやつが出てくる…、誰でもこんなとき「気が萎える」もんです。

福田さん辞意表明。
それにしても、途中で放っぽり投げる政治家の多いこと。

私事ですが、長い会社生活で「気が萎えて」仕事を放っぽり投げたくなったことは何度も…。

しかし、投げることも、逆に捨てられることもなく3年前に定年で退社。耐えつつ支えてくれたカミさんに大感謝ですが、たぶん、仕事の上で面白くないことよりも痛快なことの方が多かったから何とか続いたのでしょう。

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プロとアマの違い…

男子サッカー日本代表チームが練習試合で大学生チームに負ける…。
ぶんさんが今日のブログで書いている通り、「中学三年生が小学三年生と野球の試合やって負けたより恥ずかしい」話です。

10年ほど前、県リーグ2部所属のわが社のサッカーチームが鹿島アントラーズと練習試合をやりました。当然、負けましたよ(確か0-12)。同じ大人でもプロとアマの差はこれほどもあるのです。

大丈夫かい、W予選?

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フラダンスと腰痛…

腰痛は長年の友。
きのう、腰をさすりながら部屋の模様替え。

2年前に買った「フラガール」DVDセットについてきた「フラダンスの基本」を発見しました。

マニュアルDVDを見ながら、ひとりフラのまねごとを。
もともとフラは男性の踊りからはじまったとか。
kathyだって、男の端くれだい!


ん?
明けて今朝。
起きたら、腰の痛みが軽くなってる!

いろいろな腰痛体操やカイロプラクティックを試したけど、フラはひょっとしたら本命?

だといいんだけど…。

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月日のたつのが早いこと早いこと。
今年も早や4分の3を過ぎ、残りはたったの3か月っきり。

つい先日、「梅の便り」をブログアップしたばかりと思っていたのに…。

そんなこんなで、いつの間にやら63歳と5か月。

100歳なんて、すぐそこかい、閻魔様。
posted by kathy at 10:21| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月31日

若者いろいろ、親もいろいろ

多分、その多くは「自分の力で採用試験を通った」と思っていたはず…。

子離れしない親の「過ぎた面倒見」、そしてその’弱み’につけ込んだ県の人事担当者…。

大分で教員21人の採用が取り消しに。

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「息子がやり遂げようとしたことが、食糧の自給と安定を通じた平和を築くことだったとペシャワール会から聞かされ、ビックリした。志半ばでなくなったが、本望だったと思う」と父親。

専門の農業支援にとどまらず、用水路掘削など幅広い活動に携わって5年。アフガンから無念の帰国…伊藤和也さん(31歳)。

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若者いろいろ。
親もいろいろ。


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パソコンの調子がどうも…。
毎夕、鳴り響く雷鳴に怖気づいたか、夏バテか。

パソコンもいろいろです。


某日、ベジ娘が作った豆腐サラダ。

0808tohusalad.JPG
posted by kathy at 09:02| 東京 🌁| Comment(6) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月28日

見栄(ば)えで見栄を張る…

しばらく滞在していた娘の友人(中国人)Mさんがきのうの午後の便で北京に帰りました。

北京五輪開会式での革命歌「口パク」問題…。

容姿優先で「替え玉」をつかったことを早々に認めて「当然のこと。何が悪い?」と開き直った北京五輪組織委員会。
「何でそんな細かいことに外国メディアは文句をつけるんだ」は北京の一般市民の声…

と思っていましたが、

Mさんの意見は違うようです。

「歌が上手な子も十分かわいいのにね。かわいそう。口パクをやらされた子も同じくかわいそう」

56民族の登場シーンで紹介された子どもたちも、実はほとんどが漢族の子だった…。

「見栄(ば)えで見栄を張るなんて…」

ごくノーマルなMさんの弁を聞くと、ホッとしますね。

どだい、13億人をひとつの世論にまとめようとすること自体、無理な話。


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某日の夕食。

0808dinner.JPG

かつおのたたき、万能ねぎ、紫蘇の葉、枝豆、ミニトマト、ひじきとニンジンの煮物、万願寺唐辛子(おかかまぶし)、ブルーチーズ、ニンジンとごぼう、しいたけ、こんにゃく、昆布の煮物、玄米にぎり。
そして赤ワイン
posted by kathy at 11:17| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月27日

香典袋…

近くのドラッグストアで香典袋を買いました。

レジ係…

「ハイ、2円のおつりです。お確かめください」……
  手のひらには1円玉が2個っきりしか。
  ひとつ、ふたつ…。

「ありがとうございました。お気をつけてどうぞ」……
  「香典袋」を渡しながら「お気をつけて」って。
  

マニュアル通りなのだろうけれど、何か気になる日本語…。
posted by kathy at 12:03| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月26日

「身の丈を知る」…言い訳をしないことのすがすがしさ

宴のあと…北京オリンピックが終り、ずいぶんと静かになりました。

国や競技団体の威信を背負った選手の多くが惨敗する中、精一杯自分の力を出し切った選手たちの言葉にはすがすがしさを覚えます。

「これが自分色のメダルです」…200mバタフライ銅メダル 松田丈志選手

「靴が脱げても脱げなくても、この結果が実力」…5000mレース中、他の選手と接触し、片足の靴が脱げたままゴールしたものの予選落ち 松宮隆行選手。 

*靴が脱げた選手と言えば、バルセロナ大会(92年)のマラソン谷口浩美選手。先頭集団にいた谷口は23キロ付近の給水所で、後方から来た選手に左足を踏まれ、さらに背中を押されて転倒、靴が脱げました。先頭集団はどんどん去っていきましたが靴を履き直し、サングラスを投げ捨てて猛追。メダルこそ逃したものの8位に入賞しました。レース後の谷口の言葉…「こけちゃいました」

「ごめんね。でもママも頑張ったよね」と6歳の娘を抱き寄せて… クレー射撃トラップ女子で4位 中山由起枝選手(写真下。asahi.comからお借りしました)

RTR200808110107.jpg


「自分が相手を抑えれば勝てるんだ、と思っていたけど、実際にはみんなが走って守って打って勝つことができた。みんなに助けられて勝てたんです」…女子ソフトボール金メダル 2日間3試合の連投 上野由岐子選手


思い起こせば…。

33歳の頃、私は腰椎椎間板ヘルニアで3か月ほど入院しました。マーケティング部門の中心にあって、「こんなに休んだら会社はコケてしまうんでは…」などと不遜に思っていた怖いもの知らずの時代です。

ところが、いざ退院して戻ってみると、会社は何事もなかったかのようにちゃんと動いていた…。

思いましたね。

「ひとりの力なんて大したものじゃない。強いチーム(組織)かどうかで勝ち負けは決まる」

と。

posted by kathy at 11:06| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

日本の女性、強し!

「いつもより蚊が少ないよ」と庭いじりから戻ってきたカミさん。

いつもだと、完全防備の格好で庭に出ても必ずスキマから数か所刺され戻ってはキンカンを塗っているのですが…。

今日の予想最高気温は26度。
低温に弱い蚊の運動量が極端に落ちているようです。


im20080821AS1H2105D2108200813.jpgしかし、低温でも高温でも動き回らなければならないのがスポーツ。

いやいや、すごかったですね、女子ソフトボール。

パワーではかなわない相手でも、組織力と集中力さえ切らさなければと思っていましたが、決勝での日本選手の集中力はアメリカ選手を上回っていました。

実に見事。

4位に終わった女子サッカーも、内容ではW杯の覇者ドイツを上回っていました。

う〜む、強いですね、日本の女性は。

 
残った野球、踏ん張ろうぜ、野郎ども!

(写真は日経HPからお借りしました)
posted by kathy at 11:13| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

すべてが止まる…。

夕べもまた、スゴイ雨、風、雷。

用事で東京に行っていた娘から「つくばエクスプレス(TX)が止まっているので、蕎麦でも食べてから帰ります」のメールが…。


止まるといえば、そのころ我が家では…。

調理時間中に、いきなり停電。

照明がすべて消え…真っ暗。

IH調理器が止まり、グツグツ煮ていたトマトソース、カジキを焼くためフライパンでニンニクの香りを出していたオリーブオイルがシュンとなって…。

雨風のため窓を閉め切り「ドライ」にしていたエアコンが落ち…。

聞いていたイージーリスニングCD(ハワイアン)の音が去り…。

もちろん、パソコンもピピッという音と共に…。


真っ暗な中、ウクレレを弾いていると3〜4分後にパッと明るく…。
フー。
今回は長めの停電でした。


9年前に建て替えた我が家は、オール電化。

ボケて火事を起こさないよう、ガスなどの火の気は一切ありません。

お風呂や台所、洗面所のお湯は安い深夜電力で沸かし、冷暖房もすべて電気。

屋根には太陽光発電機。
カーンと晴れた日にフル発電して余った電気は東京電力に買ってもらっています。

最近の停電は、落ちたブレーカーを手で戻すように短時間で復帰するので生活に支障はありませんが、暗い中、ウクレレを弾きながらふとこう思いましたね。

1本の電線に頼り切る工場のごとき我が家だけど、たまには電気の支配から逃れて、ただの「木の箱」になるのもいいかなぁ…、と。
posted by kathy at 10:11| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

天が裂け、地が割れる…、

子どものころ、確か「日本誕生」という題名の映画を見ました。学校が映画館に連れて行ってくれたものです。

そこで見たのが「雷鳴がとどろき、地が割れる」天岩戸のシーン。


実は、きのう午後のテニス倶楽部で。

弱い雨模様だったのでインドアコートでプレーしていると…。

急に暗くなり、あやしげな風も吹き始めてスーッと気温も急降下、遠雷が聞こえだしたかと思うまもなくザーッと大粒の雨が降り出しました。

稲妻と雷鳴の間隔がどんどん狭くなり、雷がどんどんこちらに近づいてきます。

やがて、ピカとバリバリがほぼ同時に。
すぐ近くで次々に落ちています。

それでも、インドアコートで平気でプレーを続ける我々。

と!

ドーンという大きな音と同時に、階段2段ほど上から突き落とされたようなショックが足にきました。

そして、室内練習場の頑丈なはずの鉄骨がガシャガシャと金属音を立てながら、ユサユサと揺れます。

多くの仲間は最初落雷と思ったようですが、誰かが叫びました。

「地震だッ!」


このあたりではときどきある直下型の地震でした。
後ほどテレビで知った震度は4。

直下型の地震は、いきなりタテ揺れがあるのが特徴です。
熟睡しているときに起きると、ベッドから落ちたかと思います。

天に雷、地に地震…。

同時発生を体験するのは生まれて初めて。
ちと、不気味でしたね。

「天の神、地の神が怒ったのじゃ。生贄を捧げねば…」
こんな天変地異が起きると、大昔の人々ならこう考えたかもしれません。

信仰心の薄い我々は、ほどなくしてプレー再開です。
posted by kathy at 11:20| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

「よろしかったですかね」…???

きのう、携帯電話を買い換えました。

文字が拡大でき、ホッタラカシにしても電池が長持ちするのを選んで…。

「それでいて月々基本料金が約1000円安くなります」なんてdocomoショップの店員の誘いにものって…。

地デジTVが見られたり、海外でそのまま電話、メールが使えたり…の機能満載だけど、たぶん使わないだろうなぁ…。

080716keitai.JPG

docomoショップで。

応対してくれた20代半ばの男性店員が…

「ご本人様確認のため、免許証か保険証をお持ちでしたらお見せいただきたいのですが、よろしかったですかね

「電話番号、ご住所、お名前、生年月日、ご確認いただきたいのですが、よろしかったですかね

「お待たせしました。よろしかったですかね

・・・・・・。

よろしかったですかね」を最後につける話し方は方言ではなく、たぶんこの青年のクセなのでしょうね。

よろしかったですかね」と問われれば、つい「よろしいですよ」と返事をしたくなりますが、40分ほどの間に数十回も言われると、いささか辟易。



よろしかったですかね」をすべてとって話してごらん。
その方がずっとスッキリして会話のテンポがよくなると思うよ。

そんなアドバイスで「よろしかったですかね」、docomoクン。
posted by kathy at 11:29| 東京 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月08日

田んぼとケーブルテレビ

田んぼのど真ん中にもCATV(ケーブルテレビ)の風が!

CATVなんて都会の団地とかホテル向きと思っていましたが、カエルが鳴き、白鷺が飛ぶこんな田舎にもやってくるなんて…。

テレビ、ネット、電話がおなじ高速通信ケーブルを通じて動かせ、トータル金額では安くつくというので、入れることにしました。

えらく蒸した七夕のきのう、汗だくになって工事をしてくれました。

NHK、WOWWOWとの直契約、NTTとのBフレッツ(光通信)もすべて解約。屋根の上のアンテナも撤去です。あ〜ぁ、スッキリ!

ネットが従来通りの速さで無事に開通するか気になっていましたが、こちらもOK。この際、プロバイダーもCATV会社系に変更です。

テレビのチャンネル数は無料68局。ずっと映画ばかりをやっているチャンネル、それも時代劇専門やスポーツ局、釣り情報だけなんてチャンネルも。サッカー中継が楽しみです。


だけど…。

スッキリしたのはいいのだけど、外部との通信手段がCATV一本になってしまって果たして大丈夫なのかな。

いざというとき、情報がまったく入らなくなったりしないのか、気になり始めました。

ケーブルが切れたら終り…。
CATV会社がテロに狙われたら…。
それより先にこの会社がつぶれたら…。

テレビもネットも電話もつながらない。

考えすぎですかね。

洞爺湖で開かれている各国の上級セールスマンたちの取引き会議内容が届かなくても、生き延びることはできるでしょうけど…。

posted by kathy at 11:17| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月01日

拝啓 おふくろ様(4)

拝啓 おふくろ様

覚えていますか、このあいだの13回忌。
子どもたち6人と義弟2人、それに母さん、あわせて9人も集まりましたよ。

13回忌って楽しいものですね。
引き合わせてくれた父さんは、きっと天井のずっと上からうれしそうに見ていたんでしょう、あの気むずかしそうな顔で。

今回は母さんとたくさん話すことができて、ボクはとてもうれしかった。

電話では会話が難しいほどに耳が遠くなった母さん。
去年の帰省から1年もの間、母さんとは話ができませんでしたね。

だから、行くまではあれこれ心配していました。

去年は散々な年でしたからね。
食道裂肛ヘルニアやら両手首骨折やら。
そして、どんどん進む物忘れと難聴。

ひょっとして1年ぶりに帰る息子のことをきちんと覚えているんだろうか…、なんて。

だけど、これはまったくの杞憂でした。
ずいぶんと失礼なことを心配したものです。
ゴメンナサイ。

0103haha.JPG5人目の子のボクを産んでまもなく病死した生母のあと、新しい母となってくれた母さん。
時代も大変でしたが、母さんの人生もまさに波乱万丈でしたね。

今回、母さんはしみじみとこんなことをつぶやいていましたよ。

悪いことをする子がひとりも出なかったのはホントによかった

自分が産んだ2人の子を含めて7人を育て上げる苦労たるや、ひと言やふた言ではとても言い表わせないものだったのでしょう。

特にまだ歩けぬ赤ん坊だったボクは、母さんを一番悩ませた子だったようですね。


「母さんがボクたちの親でなかったら…」なんて考えてもしようがありませんが、はっきり言えるのは「母さんがボクらの母さんであってホントによかった」ということです。

有形無形、いろいろな影響を母さんから受けました。

今回、母さんがお茶碗にへばりついた米粒をひとつひとつ大事に口に運ぶのを見ながら、ボクたちもボクたちの子どももごく自然にそうしているのは、やはり、これも母さんに教わった大切なことのひとつなんだなぁとしみじみ思いました。


「母さんがいなくなっても、たまには帰っておいで。
きょうだいたちが仲良く集まるのはいいことだよ」

今回、母さんが何度も言っていたことですね。
やはり、自分がいなくなったあとのことが少し心配なのでしょう。

大丈夫ですよ。
母さんを中心に集まることはなくなりますが、連絡を取り合って、困ったきょうだいがいたらこれまでのように助け合っていきます。


「もう母さんはいつお迎えが来てもいい。
そのときが来たら、スーッと苦しまずに死ぬだけだよ」

この言葉も何度も聞きました。

長生きして欲しいとは思いますが、「不自然」を嫌う母さんのことですから、無理にとは言いません。
母さんに与えられた天寿が尽きたら、お別れですかね。

でも、だれかに「あの世でも会いたい人は誰々ですか」と聞かれたら、迷いなく「まずは母さん」と答えます。
63歳にもなるのに、親離れしない息子でスミマセン。

来年?
もちろん、母さんに会いに行きますよ。

それまで達者でね、母さん。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<ご参考>

「拝啓 おふくろ様」の過去記事

  *3年前に書いた「拝啓 おふくろ様(1)」はこちら
  *2年前に書いた「拝啓 おふくろ様(2)」はこちら
  *1年前に書いた「拝啓 おふくろ様(3)」はこちら
posted by kathy at 11:14| 東京 🌁| Comment(6) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月30日

母の「思い出し帳」から (6) 死ぬのは怖くないよ

晩年さなかの母。

「死」は怖くないのでしょうか。

母の言葉から…。

07tukaretayo.JPG・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


死ぬのは怖いかって?

なにも怖くないよ。

歳とって死ぬのは苦しいことじゃない。

いろいろな器官が衰え、スーッと消えるように死ねる。


若い人は、

まだ元気な器官が残って動いているから

死ぬとき苦しいし、辛いんだよ。


(遊びつかれたよ〜、かあさん)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

同居の義母(90歳)を迎えに来るデイサービスのスタッフが

「よろしかったら、ビワをどうぞ」。

01biwa.JPG

posted by kathy at 09:24| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月16日

一本杉は動かなかった

小さな横揺れのあと、30秒以上、大きくユサユサと…。
おととい(14日)の朝、8時44分頃のことです。

iwate2.jpg大小の地震にしょっちゅう見舞われる茨城県南に住んでいると、揺れ方で震源が近いか遠いかがなんとなくわかってきます。

今回は、「遠い!」と感じました。

すぐにテレビをつけると、「岩手県南、宮城県北で震度6強の地震が発生」と速報テロップが伝えています。

各地の震度が次々と画面に…。
わが町は震度4でした。

約40年前、一時、盛岡市(岩手県)に住んでいたのですが、秋田県側に抜けるために今回の被災地域のあたりをときどき通りました。まだ道路は舗装されてなく、狭い山道をほこりを上げながら走った記憶が…。

PN2008061501000410.jpg最近は整備された見事な道路が山並みを縫うように幾重にも走っているようですが…。

しかし、無惨。

自然のエネルギーは、最新の土木技術で作り上げた作品をあたかも紙細工のように簡単にへしゃげてしまいました。

岩手・宮城内陸地震。
9名死亡、13名行方不明(15日現在)。

(「一本杉は動かなかった」…。もともと右下の大木のすぐ脇にあった駒の湯温泉旅館は、土石流で数十メートル流されました。コンクリートの基礎よりも、“木の根っこ”の方が強かったようです)

*写真は岩手日報、読売新聞のHPからお借りしました。

posted by kathy at 10:48| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

求めない---

最近読んだ本、「求めない」。

家族と離れて信州・伊那谷にひとり住む詩人、画家、著作家の加島祥造が最近書いたものです。

早稲田卒。米国留学のあと、いくつかの大学教職を歴任。老子研究家としても知られます。1923年生まれ(今年85歳)。

その中から いくつか  つまみぐい ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜ、こんな田舎に
居るのかって?
都会の暮らしで
心が人を求めすぎちまってな---
苦しくなったんだ

求めない---
すると
ひとの言うことが前より
よく分かるようになる
そして
ひとの話をよく聞くようになる
すると
ひとは
とても喜ぶものだよ

求めない---
すると
ひとは安心して君に寄ってくる

求めない---
すると
求めなくっても平気だ
と知る

求めない---
すると
失望しない

求めない---
すると
自分にほんとに必要なものはなにか
分かってくる

求めない---
すると
比べなくなる

求めない---
ということは
いまのままでじゅうぶん
ということを知ることなんだ

じゅうぶんと感じないから求める?
ちがう、
じゅうぶんと知らないから求めるんだ
体はじゅうぶんと感じているけれど
頭が知らんぷりをしているのだよ

求めない---
すると
恐怖が薄らぐ!
恐怖からとても自由になる。
だって恐怖は
多くの場合
求めることから来るからだ。
求めて
求めたものが来なかったらどうしよう。
大変だ---その恐怖なんだ!
ひとに求めたときはとくにそうなんだ。

求めないでいられるとき、ひとは
いちばん自由なんだ。
着るものも
食べるものも
住むところも充分にあったら、それ以上は
求めないでいるとき
とても自由なんだ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

求めすぎて、いつもアップアップのkathy。
この日は食欲。

「鰹のたたき」

店頭の鰹がだいぶ安くなってきました。
房総沖でも獲れ始め、脂もかなり乗っています。

080607katuo.JPG

1、煙が出るくらいあらかじめ熱した魚焼きグリルに鰹を入れて数十秒。

2、氷水に浸けて、表面のやけどを冷やし、

3、ひと口大に切り、おろしニンニク、おろし生姜、ネギをまぶしてぽん酢をかけて出来上がり。

バクッ!

サッと、グリルから出したつもりですが、それでも火を通しすぎました。

生臭さを嫌うカミさんは「これくらいがちょうどいい」とのたまうのですが、表面だけ焼いて香ばしさを出したかった亭主は「ちと物足りない」。
posted by kathy at 10:22| 東京 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月22日

お悔やみ…

ウクレレ仲間のご主人が亡くなり、今夜はそのお通夜に行く予定。

退職後の3年間で黒の礼服を着るのは今晩含めて7回。
白ネクタイ(結婚式)は2回、黒ネクタイ(葬儀)は5回です。
これからも、たぶんお悔やみが増える一方でしょう。

お悔やみと言えば、中国・四川大地震で亡くなった人々を国全体で悼む「哀悼の3日間」がきのうで終わりました。

北京の娘からのメールによると…。

中国の検索サイトは白黒色のみ、鮮やかさは一切排除されています。
中国中央テレビ(CCTV)のキャスターも白黒の服、女性の化粧は色みなし。

車でいつも聞いているあるラジオ放送局も延々と国家の地震対策の記者会見やらを流していて、ときおり流す曲もスローなものばかりです。


この白黒の世界。
なにやら、昭和天皇崩御のときのマスコミや世間の対応ぶりを思い出しました。

死者の数が4万人を超え、ほかにまだ3万人の行方が不明とか。
中国はまだまだお祭りところではないようです。
posted by kathy at 11:07| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月20日

どうも気になる…、人の値段

先日書いた記事子どもたちでなくして誰に未来を託す?の続きのようなものですが、どうも気になります…。

今回の四川大地震で倒壊した学校の校舎はなんと6900棟。
周囲のアパートが無傷だったのに、一瞬のうちに崩れた校舎もあったとか。

これでは、授業中の子どもたちが逃げられるわけがありません。

安全なはずの学校で子どもたちを死なせた親たちの間では、校舎の手抜き工事を訴える動きも出始めているようです。

あたりまえです。

そして、海外からの救助チーム第1陣として日本隊が現地入りしたのは、地震発生5日目。生存率が激減する72時間(3日間)をとうに過ぎています。発見するのは遺体ばかりでした。

中国政府は、なぜ、もっと早い段階で諸外国に派遣要請をしなかったのか…。

公式には「道路事情」などと言っていますが、どうも違う。温家宝首相が地震当日に入った被災地に、救助隊が乗り込めないわけがない。

さらに今朝は驚く新聞見出し。
「道路復旧の作業員200人が土石流で生き埋め」
危険箇所で作業をさせた結果、大規模な二次災害が発生したようです。

5年ほど前、出張で訪れた上海で駐在社員から聞いた話。

「中国では人間ひとりの命は、牛1頭の命よりも安いんです」。

「まさか」…。
危険な道路交通事情を説明してくれたものでしたが、そのとき思った「まさか」は、今回の地震被害を見る中で、どうやら真実味を帯びてきました。

すでに3万人を超えた死者。
うち、「人災被害者」はどれだけなのでしょう。
posted by kathy at 10:36| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月15日

子どもたちでなくして誰に未来を託す?

半年前に訪れた中国の旅でこんなことがありました。

桂林市がある広西チワン族自治区の少数民族博物館で学芸員から聞かされた話です(関連記事はこちら)。

「学校が足りません。やむを得ず、博物館所蔵の展示品を切り売りすることにしました。160万円で子どもたちの学校がひとつ建てられますから」

年金暮らしの私には、展示工芸品になっている黒檀、紫檀製の飾り箪笥やメノウ石、水晶の彫り物を買う力もありませんので、日本円で心ばかり寄付させてもらいましたが、急成長する中国のゆがみを感じる象徴的な出来事でした。


今回の中国大地震が発生したのは午後2時過ぎ。ちょうど、学校では授業がおこなわれていました。その学校が倒壊。いくつかの校舎の下にはまだ子どもたちが生き埋めになっています。

一方、中心部の公安・警察の建物は何の傷も負っていません。きのうの現地での記者会見では、ある中国人記者が「なぜ警察の建物は倒れずに学校がつぶれたのか?」と、この国ではタブーとも言える質問をしていました。

日本の地震専門家は、崩壊した学校の写真を見て「弱い柱、レンガ、ブロックの壁、そこに留められた床…。崩れやすい構造です」と分析していました。

日本の場合、天災が発生するたびに避難所になるのが学校。洪水にも地震にも耐えられるよう高台に頑丈な作りで建てられます。

中国の場合、特に地方では学校がまったく足りません。ようやく建てたとしても少ない予算で作った校舎は真っ先に倒れてしまいました。

五輪の影で置いてけぼりになっているいくつかの問題。
なかでも教育インフラ整備の遅れは、今回の「悲劇」を機に国民の不満の危険な火種になりそうな予感が。

「産むな、増やすな」の1人っ子政策でゆがんだ人口ピラミッド。
この国は、未来を子どもたちでなくして誰に託そうというのでしょう。

posted by kathy at 10:31| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月14日

地震多発国 中国

以前、中国に駐在する同僚から「中国は地震が少ないですよ。こちらに来てから揺れたことは一度もありません」と聞いたことがあります。

ところが、「地震多発国・中国」という論文を読むと、認識が変わります。

そう言えば、約30年前の唐山地震の犠牲者は24万人を超えました。それ以外にも、数年おきに大規模な地震の発生を知らせる報道に接した記憶が…。

TKY200805130315.jpg
(写真は新華社が13日配信したもの。asahi.comからお借りしました)

不安な市民の間では、こんなデマも飛び交ったようです。
北京に住む娘のメールから…。

12日の午後、北京で午後10時に大きい地震が来るぞ、国がそう言ったぞ、という噂が、おそらく北京中に伝わりました。

私も用事を抜け出して、クラッカーや水などを買いに走り、車に詰め込みました。

その後、9時過ぎに帰宅してテレビをつけると、ニュース画面のテロップで、「10時に北京に地震が来るというのはデマです」と流していました。


エベレストの頂上付近では、海に棲む貝の化石が見つかるそうです。宇宙の年齢を140億年とすると、誕生から40億年前後の地球は若い星。1日も休まずに地殻変動が続いているということなのでしょう。

そこに住んでいる人間同士、いがみあいばかりせずに、できる範囲で助け合いますかね。

<日本赤十字社の募金>

●郵便振替(6月10日まで)
 ・口座番号  「00110−2−5606」
 ・加入者名  日本赤十字社
 ・通信欄に「中国大地震」と明記

●ネット募金はこちら(YahooのIDが必要)。

posted by kathy at 12:31| 東京 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月26日

「意地の上にも3年」…4年目に入ったマイブログ

3年前のきのう、4月25日は定年退職の日でした。

その翌日の26日、初めてブログアップした記事はこんなものでした…。

「不思議、不思議の定年退職の春」


<骨子>

昨日、無事、定年退職。
4月2日生まれだから、同年の人の中では一番早い「定年」かな。

36年勤めた会社とそこで一緒に仕事をした仲間にはほんとに感謝感謝です。

(中略)

送別、別れ、激励などの文字が飛び交った数か月だったけど、不思議なくらい悲しさはない。

かなり覚悟していた「涙」も流れなかった。
妙な気分だ。

おそらく、やりたいことが結構あるので「早く来い、来い定年の春」の心境が続き、涙のことは忘れていたのかもしれない。

不思議、不思議の「定年の春」でした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

約40年前、私がこの会社に就職した時に父が言った言葉。

「仕事や人間関係に不平、不満が出ても、お金をくれていろいろと教えてくれるのだから、まずは3年ガマンしなさい。3年経っても耐えられないことがあれば、それはホンモノ。今度は仕事を変えたらいい」

結局、この会社には3年を通り越して、定年までお世話になりました。


そして退職を機に始めたブログ。
これは娘のススメがきっかけでした。


三日坊主日記にならないよう、私なりに決めたブログの目的…。

1、記録(日記代わり。去年の今日、何をしていたっけ?)…★★★

2、親戚、友人への消息通信。つまり、「そこそこ元気に生きてますよ」を手紙代わりに発信できないか…★★★★

3、ボケ引き延ばし。文章を考え、キーボードをたたくことはボケ発症時期を引き延ばす効果が多少は期待できるかも…★(アハハ)

4、ブログを通じた新しい交流。会社中心に回っていた交流や時間の使い方を自分流に変えたい…★★★★★

★の数は3年前の期待値に対する現時点での自己評価です(満点は5つ)。

この3年間にアップした記事は、料理ブログなどを入れて1275件。
決して「意地」で書き続けたわけではないのですが…。

数字の多い、少ないはどうでもいいけど、つまらないことも含めて「残そう」とした記録の件数としての1年400件余り、1日1件強は、ま、予想以上かな。

そのブログも3年を超え、4年目に入りました。

焦りも意地も必要もない「サンデー毎日」の生活。
ぼちぼち、ゆっくり、足首でもさすりながら歩いて参りますか。
posted by kathy at 22:08| 東京 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

老齢厚生年金加給年金額加算開始事由該当届 ???

後期高齢者医療制度があちこちからたたかれています。

「後期高齢者」なんて、「まもなくお迎えが来る方」のような響きがあって、当のお年寄りから総スカン。

あわてて、通称「長寿医療制度」を付け加えましたが、制度の準備不足やら不備もあり、怒りは収まりません。


私のところには、例の悪名高い社会保険庁から「老齢厚生年金加給年金額加算開始事由該当届(生計維持申立書)」なる書類が届きました。

?????

このタイトルを見て、何を申し立てする書類かわかりますか?

カッコ書きの中は役人たちが呼び合う通称なのでしょう。

「役人仕事」という言葉は昔からありますが、その仕事の仕方もまた、ずっと残っているようです。

相手を「お客様」と考えればすべてなおることなんだけど、それができないんだろうなぁ…、ヤツらは。
posted by kathy at 10:39| 東京 ☔| Comment(7) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月21日

「ふすまに耳あり、障子に目あり」…少ない情報の影に

夕べ、湯船に浸かりながらラジオを聴いていたら…。

チベット族の反政府デモについての情報がなかなか伝わってこないことに関してあるジャーナリストがこんなことを。

「数年前、取材先から北京の支局に連絡を取ろうとしたときの話です。電話は盗聴されているので避け、FAXにしたのですが、支局にも公安の息のかかった事務員がいるので、時間を決めてFAXの前に記者にいてもらいました」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここからは、昨年末に娘と中国国内を旅行したときの私自身の体験。

西安空港から市内へ向かうバスの中。

バスの先客はビジネスマンと思しき数人の男性だけ。動き出すと、女性車掌は客席を回り始めました。バス代はもう払ったはずだし、なんだろう?

やがて、我々親子のところにも彼女が…。
娘はふだんどおりニコニコと話しています。

彼女が去った後、二人の中国語会話の中身を娘に聞いて見ると…、なんと。

「どこから?」
「どこへ?」
「ホテルはどこだ?」
「どのように予約したか?」
「部屋代はいくらか?」

こんなことを車掌に聞かれるのは初めてという娘いわく
「何だろう。職務質問かな?」。

日本だったら、「私が泊まるホテルがどこだろうと、部屋代はいくらだろうと、車掌のあんたには関係ないでしょ」で終わりですが。

公共バスの車掌には「怪しいヨソ者がいたら公安に通報するように」との密命が課せられているのかもしれません。

それとも、公安機関員が車掌に化けているかな?

一見、「何でもあり」の市場経済社会。しかし、ここはやはり中国。13億人を一党独裁の共産党が統御するこの国には表、裏にいろいろな仕掛けがあるのでしょう。

「ふすまに耳あり、障子に目あり」を実感した日でした。


*この話はマイブログの記事、今日的中国漫行紀K「ふすまに耳あり, 障子に目あり?」の一部を再掲載したものです。
posted by kathy at 09:52| 東京 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月19日

情報偏向の怖さ…ウソもホントに!

ナチの宣伝相ゲッペルスは「ウソも100回繰り返せばホントになる」と言ったとか。「ゲルマンは優秀、ユダヤは劣等」といい続け、多くのドイツ人はこれを信用するようになりました。

以前にもブログに書いたことがある「メディアの影響」実験事例…。

当時、盛んだった学生運動に関する記録映像をもとに@機動隊に警棒で殴られて血だらけになる「学生被害者編」と、A学生に角パイプで滅多打ちにされて血だらけになる「機動隊被害者編」のビデオを作る。

2本のビデオを、それぞれ別のグループの学生に見せ、「学生、機動隊のどちらが悪いと思うか」というカンタンなアンケートに答えてもらう。


結果はご想像の通りです。「学生の血」を見たグループは「機動隊が悪い」と言い、「機動隊員の血」を見たグループは「学生が悪い」と答えました。

いま、チベットで起きていることを伝える情報は、厳しい管制の下で限られています。中国側が繰り返し流しているのは「投石、商店破壊、略奪をする暴徒」の映像と、「ラサは平穏に戻った」と伝える美人キャスターの姿だけです。

混乱鎮圧に威力のある機材(武器など)は使っていないと言っていますが、多くの死者が出た原因の説明もありません。もちろん、チベット族の間に高まっていた不満や要望など暴動の背景についての報道もなし。

一方の側の偏った情報だけを流し続けることで事態の鎮静化を図ろうとする当局側のネライが透けて見えます。

080315rasa.jpg
(商店に押し入ろうとするデモ参加者。国営中国中央テレビが流したもので、「暴徒ぶり」を強調する映像?)

「フセインのイラクは大量破壊兵器を隠している」と言い続けて戦争を仕掛け、結果、何も出てこなかったけれど、上げた手をどう下ろしていいかわからないアメリカもそう。大国は実に厄介なことをいろいろと仕出かします。

被害者はいつも民衆。

「一人は全体のために」だけが歩き、「全体は一人のために」が欠落する政治がいつまで続くのでしょうか。
posted by kathy at 10:27| 東京 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする