2007年01月18日

「先入れ先出し原則」を忘れた不二家

不二家が大きく揺らいでいる。

どんな製造業でも、先に入荷した材料から先に使ういわゆる「先入れ先出し」は基本中の基本だ。特に食品加工業界にあっては、この原則は厳密に守られなければならない。

しかし、不二家では古い在庫の上に新しく入荷した牛乳を積み、上から使っていたという。当然、下の牛乳はさらに古くなっていく。

この会社は死亡事故や中毒事故を起こしたわけではない。が、6年前にグループ全社が廃業、解散、再編に追い込まれた雪印とどうも姿がダブって見える。事件発覚後の対応のまずさがそっくりだ。

めざましい生産性向上、コスト削減、大口獲得などの成果情報は耳障りがいい。こうした「愉快な情報」をトップが好みだすと、上には「悪い情報」が届かなくなる。

それでも自ら現場を回るトップがいれば、下は「うれしがる情報」だけを上げるわけにもいかない。しかし、机に座って報告だけを待つ社長ならだますのは簡単。やがて経営者は「すべて順調」と錯覚するようになる。

「現実は違う!」…、もちろん社内には憂いているまともな社員もいる。また、問題提起するたびに聞き流されたり、時には逆に冷や飯を食わされる社員も出る。そしてある日、その中の誰かが「内部告発」…。

不二家の社長は創業家の三代目。初代のころには、あのペコちゃん、ポコちゃん人形にこめた「子どもたちへの愛情」があったのだと思いたい。

しかし、業態を広げ、規模を拡大していく中で、ずっと企業活動の基本としてきた「創業時の心」をいつしか品物に込めなくなったのだろう。理念の「先入れ先出し」を忘れたようだ。

不二家のビジョンメッセージは「be fresh, be happy !」 。言葉だけを飾るむなしさ。似たような会社のなんと多いことか。

昨日は久しぶりに雨。近所の不二家チェーン店のペコちゃん人形が冷たい冬の雨に打たれて泣いていた。

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2007年01月16日

ブログの情報伝播スピード

フジテレビ系列局で「発掘! あるある大事典」が納豆のダイエット効果をとり上げたのが7日午後9時。

番組内容はこちら
  http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search3/aru140/140_1.html
私はこの番組を見ていない。

翌8日にはスーパーなどに客が押し寄せ、まとめ買いを始めたようだ。我が家が何かおかしいなと気付いたのは9日。散歩から帰った義母が「納豆が売り切れだった」とぼやく。

9日にはブログ仲間の響さんがブログ「響の言葉」で異変を伝え、私も初めて品薄の原因がテレビ番組にあったと知る。

その2日後の11日になってようやく大手納豆メーカーが朝刊各紙に品薄をわびる広告を掲載。その広告原稿で騒動を知った社会部記者が同日、後追い記事を書く。

11日の店頭には「明日には正常に入荷」とのお知らせが貼られていたが、新聞報道でさらに加熱したのか、15日現在、依然として夕方のスーパーの店頭に納豆の姿はない。

情報が伝わる速度はブログがもっとも早いかもしれない。新聞社やテレビ局には、毎日ブログをチェックしている専任の記者がいるとも聞く。

約30年前のトイレットペーパー騒ぎのときにはなかったブログだけれど、口コミ・メディアとしては最大・最速のものになりつつあるようだ。
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2007年01月15日

納豆騒動が「騒動」でなくなったら医療費は減るのだけど…

シルバーカーを押しながら義母が散歩から帰ってきて言うには「今日も、納豆がなかったよ」。

我が家は総入れ歯の義母が「引き割り納豆」、カミさんと自分が「有機納豆」を毎日食べる納豆一家。だが、その納豆の確保がむずかしくなってきた。

CIMG3274(yukinattou).JPG

(我が家の常備納豆。有機大豆を使ったもので、着色料、保存料、化学調味料などは使っていない。うれしいことについているタレにも有機しょうゆが使われている。ん?これ、賞味期限切れ?)

自分は見ていないが、7日にフジテレビ系列局で放映された「発掘!あるある大事典」が「朝晩1パックずつの納豆はダイエットに効く」とやったらしい。

納豆に含まれる良質のたんぱく質や納豆菌が体にいいことはよく知られている。しかし、「健康にいい」ではこんな騒ぎにはならない。「ダイエットに効く」とやったものだから、食わず嫌いだったにわか客まで飛びついたらしい。

そのせいで、ここ数日はスーパーの納豆コーナーには「完売」の札が。ふだんから毎日食べている家庭にまで納豆が回らなくなってしまった。その意味では迷惑な騒動だ。

効用で言うなら、納豆だけで健康やダイエットを手に入れることはどだい無理。肉をたくさん食べ続けながら朝晩に納豆も、という毎日を続ければ逆に太るし、健康も損なわれる。

一昨年春に退職してから約10キロ体重が減った(減らしたわけではない)。変わった点は肉から少量の魚や野菜中心に、1日最低1回はご飯(最近は玄米ご飯)に納豆、味噌汁、あとは週数回の運動を欠かさないところか。

あとはよく噛んで食べていること。噛めばかむほど唾液が出て消化を助け、満腹中枢が刺激されて、食べる量が次第に減ってくる。肉を摂らなくてもご飯や納豆をしっかりと食べていれば十分なタンパクは確保できる。

せっかくだから、納豆騒ぎは長続きして欲しいものだ。ほかの食習慣も含めて改善すれば多くの人が健康になる。国が滅ぶのではと思うほど膨張し続ける医療費にも歯止めがかかる。

しかし、健康目的ならまだしも、ダイエット目的で飛びついた客はまもなく離れるだろう。わずかでもいいから健康を実感できるまで食べ続けて欲しいものだが、メーカーは間違っても拙速の巨額投資はしない方がいい。

トイレットペーパー騒動から30年。そして昨年の「寒天騒ぎ」に今回の「納豆騒動」。「世界にたったひとつのオンリーワン♪」と歌いながらも、横並びに走る日本人はいつの時代もメディアに流されやすい民族のままだ。

やはり、総医療費はこのまま膨れ続けて日本は亡国の歩みを急ぐのだろうか…。
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2007年01月14日

「勝ちのシナリオ」はないアメリカ

ここ3週間ばかりのイラク関係ニュース…イラク開戦以来の米軍兵士の死者数3000人超。フセイン元大統領死刑執行。米軍2万人増派決定(15万人に)…。

イラク開戦の大義であった「大量破壊兵器」も結局は見つからず、代わって「危険な独裁国家を消した戦争は正しい」と目的を捻じ曲げるものの、米国民の7割がこの戦争目的を支持していない。

ベトナム戦争では50万人以上の米軍を駐留させたが、約6万人の犠牲者を出して、小国「北ベトナム」に破れた。

93年のソマリアでは、紛争に介入した米軍は18人が殺され、逃げるように撤退した。

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(93年にソマリア紛争に介入した米軍。このあと、逃げ帰ることになる)

南米ではあからさまな米の政権転覆工作はいずれも成功せず、反米社会主義政権が連なる。

「アメリカ流の民主主義を広める」と言っているが、それに対して「どうもありがとう」と歓迎している国は少ないように見える。

アフガニスタンでは消し去ったはずのタリバンが復活し、フセイン亡きイラクではシーア派、スンニ派、そして米軍の三つ巴の戦いが内戦化している。

アメリカが手を振り上げた紛争地や国はいずれもグジャグジャにされただけのようだ。民主主義はもちろん、政治的にも経済的にも出口が見えない状態になっている。

イラクにしても、ベトナムにしても、ソマリアにしても、アフガンにしても、報じられる米軍の死者数のたぶん数十倍の紛争地兵士、市民が犠牲になっているはずだ。

アメリカには軍産複合体があって、政権の中枢が兵器産業、石油産業とつながっていると指摘する人もいる。マイケル・ムーア監督もそのひとりで、彼は映画「華氏911」でそのことを暴いて見せている。

自信があるようでいて、臆病なところを垣間見せるアメリカ。何かに憑かれたように紛争に介入したり、自ら戦争を仕掛けるサマには、「いい加減にしてくれ」と言いたくなるところがある。

唯一救いなのはナパーム弾で焦土となり、枯葉作戦で野や山、畑が丸裸となったベトナムが見事に復興していることだ。つまり、米軍が撤退して、新しい国づくりを自分たちの力で成し遂げた国だ。

イラクもどんどん増派して最後に敗けて撤退するか、今すぐに撤退するかだけのようだ。「勝利のシナリオ」はどうにも見えてこない。

何度失敗しても懲りない国、アメリカ。建国の歴史のなせる業か。
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2007年01月12日

怖いのは生きている人間

妻が夫をノコで切り、兄が妹をバラバラにする。そして、昨日は茨城でも切断死体が見つかった…。

死者はコワくない。ずっと恐ろしいのは「生きている人間」のようだ。
動物は切ったり、刻んだりで怒り、恨みを晴らしたりはしない。人間だけだろう。

別の手段を思いつかないまま「キレてしまう」のは何も若者だけではない。
ストレスの多い社会だが、キレるのは食べ物のせいの方が大きいのでは、と最近思う。毎日、加工食品やジャンクフードを食べてばかりいたら…。
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2007年01月11日

「団塊の世代」のほんの少し先を歩く者として

昭和22〜24年(1947〜49年)生まれの人は800万人という。彼ら、つまり団塊の世代の多くが今年から定年退職期を迎える。

昭和20年(1945年)生まれの自分は彼らの少し先を歩いてきたが、マスコミが紹介する団塊の世代の時代映像にはほとんど見覚えがある。二つ違いのカミさんはまさに団塊の世代。しかし、話す内容に年の差は感じない。

7人きょうだいの5番目に生まれた。回りを見ても少ない友で3人、多い家だと9人のきょうだいがいた。母親はどこも大変だった。その苦労がわかるから、子どもたちは出された食事を不平も言わずに残さず食べた。

学校も1学年15学級なんてざら。クラスに2、3人は給食代が払えない子がいて、昼食時に校庭をとぼとぼ歩いていた。さびしそうだった。最近は給食代を払えるのに故意に払わない親がいるというが…。

大学では月8000円の寮費だけ仕送りしてもらった。小遣いは家庭教師などのバイトで稼いたが、不思議とそんなにキューキューとした覚えはない。4年間ノンポリで通し、お盛んだった学生運動には顔を出さずに卒業。

そして、就職。高度成長期にさしかかり、会社は作った商品から売れた。営業所を出すスピードにも人の確保が追いつかない。入社10か月で営業所長になった記録はいまだに破られていないそうだが当たり前。時代が違う。

入社2年後に結婚。すぐに長女と長男が、3年おいて次女が生まれたからカミさんは大変。今で言う育児ノイローゼのようになったが、亭主は仕事一辺倒だった。休みに子どもの相手をしていても、頭の中は仕事、仕事、仕事…。

どんどん提案して挑戦できるから、仕事は面白かった。「自分は稼ぎ目的だけでなく、生活を快適にする意味ある仕事に就いている。だから家庭はカミさん」と思い込もうとしていた。カミさんにはつらい時期だったろう。

主任、係長、課長、部長と肩書きが変わる。37歳で63人の部下を持つ商品部長になり、40歳で広報部長(兼社長室長)。会社のスポークスマンをしながら、トップの脇で経営を学んだ。絶頂期でコワいもの知らずだった。

しかし、高度成長時代も終り、会社の伸びも鈍化する。そうなると、人、モノ、金をかけて挑戦する者よりも、経費を削減した者が評価されるようになる。加点主義が減点主義に変わり、ひとつのミスが命取りになる会社になった。

ライン(現場)よりも人事や経理が幅をきかすようになると、肩書きが事業部長になっても仕事は以前ほど面白くなくなる。現場回りより報告書を書いたり、会議に出る時間の方が多い。企業文化って、こうも簡単に変わるものなのか…。

そして、定年。自分は退職が待ち遠しかったが、多くの同僚は会社を去ることを怖がった。翌日から何をしたらよいのかがわからないのだという。妻に相談しても、「体が動くうちは働けば…」と言われるらしい。

妻たちは妻たちで思う。何もしない、できない夫が四六時中家の中にいるなんて…、間に合わせで済ませた昼メシも何か作らなければ…、夫と違って自分にはある趣味を今後も続けられるだろうか… あ〜、やだやだ!

団塊の世代を総退職時期とからめて「2007年問題」とマスコミは取り上げるが、経済・社会現象から離れると、実はどの家庭にもあるごく身近な問題が少しまとまった量で噴き出すことなのだろう。

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体を自分で動かせる健康人生を長さ80センチの物差しにたとえるなら、団塊の世代はすでに60センチのところまで来ている。いろいろあったけれど、これからは自分のために残りの20センチを使って欲しい。しみじみそう思う。
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2007年01月08日

「青海チベット鉄道」の何がスゴイかって…。

今朝のNHK「青海チベット鉄道2000キロの旅」を見た。

西寧(中国青海省)―ラサ(チベット)間1,956kmの鉄道で、2005年に開通、貨物列車で試運転後、去年夏からお客を乗せ始めた。こいつはスゴイ。

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コースでもっとも高い位置の標高は5072メートル。富士山よりもはるかに高い所に鉄道を敷くというのは、並大抵の熱意力闘じゃできない。

下はカチカチの永久凍土。トンネル掘削も凍った山の中。機械の熱で氷が溶けないよう冷風を送りながら掘る。酸素ボンベを背負っての工事は黒部ダム(富山県)をはるかに超える難工事だっただろう。

本州をほぼ縦断する距離、2000キロの鉄道をわずか5年で完成させた中国の土木技術。千年、万年変わらぬ自然の美しさも感動ものだが、この鉄道を作り上げた技術レベルの高さが何と言ってもスゴイ。

身近なことでは、百均の中国製品が目覚しいスピードで改良されている。もはや、中国品を「安かろう、悪かろう」と決め付けるわけにはいかない。

先日の番組でも自由に民衆が本音を語るのに驚いたばかり。日本の10倍、13億人の人口を擁する中国がさまざま苦難を乗り越えてあらゆる分野でつけ始めた自信。

中国は、きっと10年も経ずして、アメリカを抜く政治・経済大国になるだろう。と、最近思う。

<「青海チベット鉄道」 関連記事>
  http://japanese.china.org.cn/japanese/237858.htm
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2007年01月07日

おととしの4月に始めたブログだけど…

おととしの4月、定年退職を機に始めたブログだけど、自分にとっては何だったんだろう…。

スタート時の目的は確か次の4つ。
1、記録(日記代わり。あったこと、感じたこと、思うことを書こう)
2、通信・連絡(親戚・知人への消息通信みたいなもの。「そこそこ元気に生きてますよ」を手紙代わりに発信)
3、ボケ防止(短文を考え、キーボードをたたく習慣はボケる時期を遅らせる効果が少しはあるかも)
4、新しい交流(それまでの会社を中心とした仲間づくりを自分流に変えたい)

それぞれに意味も実際の効果も期待以上にあった、とは思う。だけど、テーマ選びにしても、書き方にしてもどうも自分じゃないような所がどうも気になるナ。

去年の春にも似たような意識が湧いて、それまでの「である体」から「ですます体」に書き方を変えた。断定的で、押し付けがましいのが気になり、手紙文のようにしたんだけど、これはこれで「ね、ねぇ、そうでしょう」と妙に媚びる感じがしてしょうがない。

どうやら書き方(文体)というよりは、上の「2、通信」と「4、新しい交流」を気にしすぎているのかもしれない。原点の「1、あったこと、感じたこと、思うことを書き留める」に戻したらどうなんだろう…。

嬉々、驚愕、恐怖、おびえ、怒り、悲しみ、疑問…、これらを独白、独り言、つぶやきで…。
ま、やってみっか。

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それにしても、今日は風が強い。北国ではもっとすごい風が吹いているらしい。このところ、秋田で横風を受けた列車が転覆したり、北海道・サロマででっかい竜巻が起きたり、北の方が風害が多い。どうしてなんだろう。

週末に家に帰ってくる息子があまり食べなくなったナ。30を過ぎたんだし、もう子どもの頃とは違うか…。
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2006年11月19日

「老いの道」と残された選択肢

きのう、定例のハワイアン練習の後、仲間と近くの中華屋へ。昼食を食べながらメンバーのひとり(女性、80歳)がこんなことを語り始めました。

<その1>
「今朝5時過ぎに電話が鳴ってね。出たら警察からなの。『ご主人のお名前を教えてください』、『****』、『今、ご主人を預かっていますので、何か暖かい着るものを用意して迎えに来てください』…。

息子を起こして駐在所に行ったら、もも引き姿でぶるぶる震えているの、主人が。それも裸足で。スーパーの駐車場にいるところを朝刊配達の女の人が不審に思って警察に電話してくれたんだって」

<その2>
連れて帰ってからの会話。妻『どうして、あんなところまででかけたの?』、夫『え?どこ?』、妻『スーパーよ』、夫『行ってないよ』、妻『おまわりさんのところにお世話になったのよ』、夫『警察になんてお世話になるわけがないだろう』

<その3>
ご主人は学校長を長く務め、その後塾の経営をやっていたのですが、70過ぎに塾をやめてから、どんどんおかしくなっていったそうです。
趣味はひとりで碁を打つだけ。ほとんど出かけず、外の人と交流することもまずないとのこと。

フラを踊ったりウクレレ弾いたり、歌ったりと活発に外に出かける奥さんに対してご主人はほとんど外部との交流がありません。

誰もが通る「老いの道」ですが、道の選択肢がまだ残っているうちはいろいろなものにチャレンジしてみようとあらためて思いました。
土曜の午後のひと時です。
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2006年10月28日

子どものせいじゃない!

団塊の世代がいっせいに定年を迎える2007年問題と高齢化社会、そして少子化問題。日本の人口ピラミッドが頭でっかちの不安定な形にどんどんなっていきます。

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県立、私立含め400校を超える高校で学習指導要項で学ぶことが決められている科目を省略し、大学受験科目に絞ってカリキュラムを組み立てていたことが大きな問題になっています。

このままでは卒業できません。何らかの形で補修が必要な高校生は何と8万人を超えるそうです。

テレビには、いろいろな高校の校長が頭を下げて謝罪する姿が映し出されていますが、この人たちは教育者ではありません。人を育てることよりも、一流大学に何人合格させるのかにより高い価値を見出しているのですから。

その背景には少子化問題もあるのでしょう。定員確保ができない大学、「進学校」という予備校まがいのブランドで生き延びようとする高校、子どもをいい大学に入れてくれる高校を求める親…。

今やどこの家庭も子どもはひとりか2人。「美しい日本」を掲げ、教育問題を政策の重要な柱にすえる一方、少子化担当大臣を置いてスタートした新政権。早くも大きな問題に直面です。

少なくとも、「いまどきの若者は」なんて言って子どものせいにするのだけはやめましょう。この時代をつくってきたのは我々、大人たちです。

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2006年10月08日

「生きた人間を海に捨てる」…???

◆ギリシアの沿岸警備隊が不法入国の移民40人をエーゲ海に投げ込んだ。6人死亡・・・こんなことがあっていいのか!

sakasaiさんのブログで「澁澤幸子さんのWebサイトに紹介されていたショッキングな事件」について触れていました。9月28日のトルコ各紙が報じたものですが、日本のメディアでこの事件をとり上げたところは多分ないのでは。

南北問題(経済格差)、同じ国の中の貧富の差、紛争・戦争からの難民、政治・信条的な迫害からの難民…、いろいろな理由から「逃げる」、「移る」ことが必要な人々は沢山います。

「生きた人間を海に捨てる」…。
投げ込まれたのも、投げ込んだのも同じ人間。
投げ込んだ兵士は上からの指示で「仕事」でやったんだろうけど、どんな理屈があろうと許せない!
ほんとに、なんてことをするんだ!


以下は澁澤幸子さんのレポート。

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◆ギリシアの沿岸警備隊が不法入国の移民40人をエーゲ海に投げ込んだ。6人死亡・・・こんなことがあっていいのか!

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9月28日、トルコの新聞各紙が報じたこの記事に、びっくり仰天しました。
中東から、北アフリカから、ヨーロッパにもぐりこもうとする不法移民は、いまも後を絶ちません。だからと言って!!!
 ギリシア領キオス島に不法上陸したアルジェリア人、イラク人、レバノン人、パレスティナ人、チュニジア人たちを、ギリシア沿岸警備隊は船に乗せ、トルコ領海に運んで、海に投げ込んだのです。
 トルコのイズミル近郊の村人は、早朝の男女の悲鳴に飛び起き、力を合わせて彼らを救出しましたが、6人は溺死、3人は行方不明。
もちろん、国連だって、びっくり。トルコとギリシアに詳しい情報を求めているところです。トルコの沿岸警備隊によると、これまでも、ギリシアの警備隊は不法移民たちを小さなゴムボートに乗せ、オールなしで海上に放置しているという。 
 地球上に貧富の差がある限り、不法移民の流れを食い止めることはだれにもできないでしょう。
 日本では報じられなかった(多分)ニュースを、ちょっとお知らせ。

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2006年09月18日

ポロリポロリと欠けていく…。

健やかに生まれた赤ん坊も、最初は目も見えず、歩くことはもちろんハイハイすらできません。

しかし、幼年期、少年期、人間はケガをしたり、ちょっとした悪さも体験しながら成長していきます。

痛みのわかる、他人を思いやる人に育つとても重要な時期です。
体で言えば、高校生くらいがもっとも運動能力が高まるときなのでしょう。

青年期を迎えて結婚し、忙しい仕事や子育ての壮年期を経て、やがて一段落の時期へ。
この頃から、体は徐々に言うことを聞かなくなり、物忘れもだんだんと…。

そして、歯が抜け、目も耳も遠くなり、やがて歩くのも辛くなります。
快活に笑っていたのに、あるときから「笑い」を失う人も。

あれもできたのに、これもできたのに…。
でも、持っていたはずの能力がひとつずつ、ポロリポロリと欠けていく。

そして、だれにも訪れる死。

今日は「敬老の日」。
母93歳、義母88歳。

子ども叱るな 来た道じゃもの
年寄り笑うな 行く道じゃもの



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(きのう、外出許可を得て1時間ほど自宅に戻ったカミさんは真っ先に庭に行き「ミニトマトがいっぱいなってるよ!」。 なまくら亭主が手をかけずとも育っていました。thank you デス)
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2006年09月15日

“つもり違い十ヵ条”

中国に住む娘が「高尾山薬王院有喜寺 つもり違い十ヵ条」を教えてくれました。

“つもり違い10ヵ条”

一、高いつもりで低いのは 教養
二、低いつもりで高いのは 気位
三、深いつもりで浅いのは 知識
四、浅いつもりで深いのは
五、厚いつもりで薄いのは 人情
六、薄いつもりで厚いのは 面の皮
七、強いつもりで弱いのは 根性
八、弱いつもりで強いのは
九、多いつもりで少ないのは 分別
十、少ないつもりで多いのは 無駄

中国で娘がネットで調べ、日本に住む親父がそれをネットで知る。20年前には考えられなかった不思議なコミュニケーションです。

ん? そんなことに感心していないで、中身だって?
ハイ、読み返します。

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2006年09月09日

主婦はエライ!

主婦はエライ! つくづくそう思います。

家人ふたりが病に倒れ、ひとりで料理、洗濯、掃除、ゴミだしなどをやっていますが、趣味でやるのとは大違い。

ふと気付くと洗濯機の中で洗濯物がしわくちゃのまま生乾きになっていたり、ゴミ置き場まで持っていったモノが、その日の分別とは違っていたり…、「本業」ともなると、家事もいろいろと大変です。

でも、家事って、やっているとずいぶんと頭も使うし、勉強になりますね。洗濯物もあとで「たたみやすいように」吊るすコツも覚えました。すぐ臭う生ゴミの処理の仕方も…。

そして、別々の病院に入院しているふたりを見舞った残りの時間が自分のものです。

少しでも時間が空けばテニスクラブに行って汗を流したり、津軽三味線、ギター、ウクレレを弾いたりなどの気晴らしも。

残るひとりまで倒れるわけにはいきませんので、この時間はとても大切です。

カミさんが入院して1週間の「感想」です。

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2006年08月28日

Nスペ「硫黄島…」再放送を見て

NHKスペシャル「硫黄島 玉砕戦〜 生還者 61年目の証言〜」の再放送を見ました。前回の本放送のときに抱いた感慨を整理するつもりで…。

生還者の一人の証言

「死に瀕した戦友が水を欲しがります。普通の状態なら、かわいそうだからと水筒を口に持っていってやると思うんですが、そういう気持ちがぜんぜん働かない。理性が働かないんです。水のために仲間を殺すことだって…」。

戦争指導者が、どんな立派な大義を掲げていても、戦場の本質は「理性が消え、人を殺す」ことです。

400万年の人類の歩みの中で確実に進化を遂げている科学、医学、文化…。私たちはその恩恵を衣食住など生活のすべてで享受しています。

しかし、唯一、何度大きな失敗をしても「学習」できないのが「戦争」です。

宇宙から地球を丸いボールのように見ることができる時代だというのに、このテーマはどうしても解決できません。

最後は、押してしまうのでしょうか、人類破滅のボタンを。
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2006年08月08日

Nスペ「硫黄島玉砕戦」を見て

夕べ、NHKスペシャル「硫黄島玉砕戦 〜生還者 61年目の証言〜」を見ました。昭和20年2月から3月にかけての1か月に及ぶ抵抗戦と、その後
の生き残り兵に対する米軍の掃討戦のすさまじさが生還者の証言と資料で紹介されます。私が生まれたのはこの年の4月2日でした。

060807_c.jpgこの火山島の地下には総延長20キロに迫る壕が掘られていました。上陸した米軍の「5日間で制圧」という予想をはるかに上回る反撃を展開したのはこの壕のなかで艦砲射撃、空爆にじっと耐えて兵を温存できたからです。




ところが、この壕がやがて悲劇の舞台になります。

「人間が人間でなくなる」…、戦争という極限状態の中、平常時では考えられないことが起きます。死んでいった者たちへの重たい想いでこれまで口を閉ざしてきた数少ない生還者が語り始めました。61年を経て、全員80歳前後です。

(日本側)
●グァムやサイパンでは「後ろに下がって再び戦う」選択肢もあったが、硫黄島では「踏みとどまって米軍を食い止めよ」だけ(後ろはもうない)。
●「降伏はするな、名誉の戦死を」が異常なほど徹底されていた。
●大本営は「硫黄島、敵に落ちるもやむなし。支援策なし」の方針だった(見捨てた)。

生き残りの日本兵の証言

@投降したら、あとで帰ってきたときに国賊として銃殺される、と信じていました。投降し、米軍にもらったチョコレートなんかを持っていったん戻ってきた兵がみんなにも降伏するように話して外に向かったとき、仲間に撃たれました。「投降した以上、この兵隊はあとで銃殺される。かわいそうだから撃った」、です。

A上官が「鉄砲を持って出て行き、戦って来い」と言う。出たら壕の出口で米兵に撃たれます。食料が底をついていますから要は「口減らし」だったのです。

Bガソリンで焼かれて顔、体の皮膚がビラビラになった兵が、「こめかみを撃ってくれ」と。

C何十日もほとんど何も食べていない状態ではどうなると思います。何を食べると思います。焼かれて残った炭、これを食べたんです。

D死体の下にもぐりこんで息を潜め、戦車が近づいたら突撃する。死んでもなお戦え、ですよ。人間性というもののない世界でした。

E今でも夜になるといろいろなことを思い出します。死ぬまで、この記憶を引きずっていくのでしょう。

F「あのとき」のことを「話す」こと自体が、亡くなった仲間たちへの供養になれば…。

(米軍側)
●日本軍司令官討ち死に後、当初、ラウドスピーカーで生き残り兵に「投降」を呼びかけていたが、やがて、発煙弾による「いぶりだし作戦」に。
●そして、火炎放射器。
●それでも投降しないので、やがて、壕の入り口を爆破する(生き埋め)。
●さらには、ガソリンと一緒に海水を注入し、表面に浮いたガソリンに火をつける。

生き残りの米軍兵の証言

@もう、君たちは戦わなくていいんだよ。日本に帰れるんだよ、と訴えても壕から出てきません。とても、不思議に思いました。

Aまだ、約4000人の日本兵が壕にこもって出てこない。次第に我々の方も手段をエスカレートしていく。米軍側も戦場で「ここまでしなくても」という感覚が次第に麻痺していきました。

B日本兵をあそこまで閉じこもらせたのは、「降伏」という考え方を封じ込めた日本の上層部の責任だと思います。

2万人のうち、生還者はわずか1000人の日本軍。米軍も5000人が戦死するという大変な激戦の地となった硫黄島。

火山島のこの島の壕には、火山性ガスが充満していることもあって、今なお、1万体の日本兵の遺骨が眠っているということです。

それから61年。
今もって、戦争をやめようとしない人類。

いったい、人間の命以上に大切なものって、何なんでしょうか。
イデオロギー?、宗教?、領土?、石油?、兵器産業?…。

時に数百万人もの命を奪い、家庭、社会を破壊する戦争。そこに国民を向かわせる指導者の考えは、どうにも理解できません。
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2006年08月03日

スポーツなのか、興行なのか???

夕べのボクシング、見ましたか?

大口をたたいて前人気をあおるという演出に乗せられた主人公の少年は、ずっと格下のタイの選手やピークを過ぎたランカー相手に11戦11勝(10KO)で、世界タイトル戦の切符を「持たされ」ました。

7時半から始まった中継番組ですが、露骨な引き延ばし演出で、結局、試合が始まったのはほとんど9時でした。42.4%の視聴率を稼いだテレビ局は、ウハウハでしょう。

ところが、です。
試合が始まると、経験不足、実力不足の少年は力と技で上回る相手選手に圧倒されます。

初回にはダウンを奪われ、他のほとんどのラウンドも手数、正確さでどうにも相手にかないません。たびたび、棒立ち状態になります。ひいき目に見ても、少年側が有利だったのは、2、3ラウンドくらいだったしょうか。

「幸いに」ノックアウトされずに結果は判定に持ち込まれました。見ているもののほとんどすべてが相手選手の勝利を疑わなかったはずなのですが、ギョ、ギョ、ギョ。なんと3人のジャッジの判定は2−1で少年の勝ち。

「勝ち以外のシナリオ」があっては困ると考える人たちの何らかの力学が働いたのでしょう。翌日の新聞やテレビ各社の報道も「仰天判定」(読売)など手厳しいものばかりです。

ま、ボクシングはスポーツであると同時に、かなりの金が動く興行(見世物)です。商業ベースで成功させるためには、こんなシナリオもあるのでしょう。でも、夕べの結末はあまりにも見え見えでオソマツでした。

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「まさかの判定」に、いつもは演出でしゃべらされていた大口たたきもいっさい忘れ、少年は「ワ〜ン、ワ〜ン」とセコンドの父と抱き合って泣きじゃくっていました。「まっとうに勝った」と誤解したのでしょうね。ただの子どもです。おそらく、一緒に泣く父親もこの「シナリオ」を知らなかったのでしょう。
 (写真は日刊スポーツHPからお借りしました)



儲け主義の大人たちは、時に少年を(父親も)だまし、ボクシングファンをあざむき、視聴者を馬鹿にします。彼らは、得た銭(マネー)とひきかえに失ったもののいかに大きいかに多分気がついていないのでしょう。お寒い連中です。

ふだんはあまり見ないボクシングですが、大人に振り回されていたこの少年がさらにどう利用されるのかが気になってテレビをつけました。やはりというか、怖れていた通りというか、「案の定」というか…。

ほとんどの場合、「ヒーローとは生まれるものではなく、作り出されるもの」なのでしょう。


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2006年07月28日

拝啓 おふくろ様(2)

拝啓 おふくろ様

去年の夏は「おかげさまで、無事、定年を迎えましたよ」を伝えに帰りました。
今年は「不安だった定年後の生活を健康に楽しく過ごしているよ。ほら、三味線だって、料理だって、旅だって…」のメッセージを携えての帰省でした。
 (1年前に書いた「拝啓 おふくろ様(1)」はこちら

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ボクの実母は5番目の子であるボクを産んでから1年3か月後、満州で病死しましたが、そのこと、つまり「お前のホントのお母さんは満州で亡くなったんだよ」と教えてくれたのは父さんではなく、おふくろ様でした。

ボクが小学5年生の寒い冬、ふたりで買い物に行く道すがら、しっかりと手を引きながらその話をしてくれました。

その事実を初めて知ったボクは、不思議と何の動揺もありませんでした(「母さんは母さんだ」の思いしかなかったような気がします)。

おふくろ様は30代半ばで父と結婚しました。初婚でいきなり5人の母に。

何度か、「なぜ、どうして5人の子持ちの父さんのところに?」と聞いたことがありますが、おふくろ様はこういいましたね。
「戦争に負けて何もかもが壊れてしまった。女がしっかりしなければ国は滅びる。だから、父さんとの結婚の話があったとき、自分がやらなければ、と真剣にそう思ったんだよ」

おふくろ様は、実際、語ったその通りのことをずっとやってきましたね。

妹ふたりを産み、きょうだいは7人になりました。
公務員だった父さんの給料では、やりくりが大変だったはずです。
服も教科書もお下がりが多かったのですが、正月だけは、朝目が覚めるとそれぞれの枕元に真新しい下着をおいてくれましたね。

おふくろ様は分け隔てなく、子どもたちに等しく接してくれました。
おかげで、きょうだいはみんな助け合い、協力し合うことをいとわない大人になることができました。

1年前よりもさらに耳が遠くなったおふくろ様。
今言ったこともすぐ忘れて、同じことを何度も繰り返すおふくろ様。
子どもの名前もしょっちゅう間違えていましたね。
「会うの、初めてだろう」と義弟を紹介してくれたのには、さすがビックリしました(もう、何十回も会っていますよ)。

「うちの蕗(ふき)だよ。おいしいよ、たくさん食べなさい」と繰り返し勧めるおふくろ様。
それはボクが今朝、庭の蕗を刈り、茹でて皮をむき、カツオの出し汁に薄味をつけて煮たものです。
妹が何度もそのことを説明すると、「そうかい、そうかい」と言っていたくせに、また「うちの蕗だよ。食べな」、だって。
でも、そんなことはどうでもいい。おふくろ様がおいしそうに食べてくれるのがうれしかった。

若いときにカリエスを患い、背骨が少しまぁるくなってしまった小柄なおふくろ様。
賢く、謙虚。しかし、とても芯の強い人で、おふくろ様が泣いたところをこれまで見たことがありません。

大正元年の暮れに生まれたおふくろ様は、医者から「この子は生き延びることはむずかしいだろう」と言われたほどの未熟児だったそうですね。
何とか育てて「これなら、もう大丈夫」と役所に届けられたのが翌年9月。だから、実年齢は93歳ですが、戸籍上の年齢は92歳です。

未熟児で生まれ、カリエスの大病までしたおふくろ様は自分でもここまで長生きできるとは思っていなかったのでしょう。
「92だよ、92(実際は93)」と何度も言うその口調は誇らしげです。

「ここまできたら、100歳まで生きてちょうだい」というと、こう言いましたね。
「無理に長生きしようとも、早く死のうとも思わないよ。自然が一番」

そうでしたね。無理をしないでください、おふくろ様。
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2006年06月16日

よりによってこんなときに…(続き) 「クレームはチャンス」

昨日の「よりによってこんなときに…」の続きです。

H社のサービスマンが故障したDVDレコーダーの後継機種をもって、予定時間の5分前に来宅し、手際よく取り替え、初期設定をして正しく映るよう確認した後、考えられる故障原因、新品の操作法を説明してくれました。

自分でも操作してみましたが、地上デジタル放送、BS放送、HDD(ハードディスク)、DVD、いずれも問題なく動きます。若いサービスマンは迷惑をかけたことを再度詫びて引き揚げていきました。とても気持がいい。

月曜(12日)に問題発生、火曜(13日)にサービスマンが来宅、木曜(15日)には一件落着です。火曜日に来た時は「後継機種の取り寄せに1週間くらいかかるかもしれません」と言っていたのですが、2日で届きました。

あるメーカーに40年近くお世話になりましたが、クレームの対応はもっとも難しい仕事のひとつです。対応次第で顧客を失うことも増えることもあります。「クレームはチャンス」と言われるゆえんです。

ただ、頭で「クレームはチャンス」を理解していても、トップから現場の1社員までこの考えで行動できるかどうかは別問題。全社への浸透は、トップの考え方、会社の文化で決まるとも言えます。

ちなみにH社とは日立です。今回の対応には、大いに満足しています。

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2006年06月13日

聞かずしてしゃべるな!

組織の場合、上に立つ者ほど「聞く耳」を持つことはむずかしいものです。多くの人は上に昇れば昇るほど、なぜかこのことができなくなります。

もちろん、国家や会社などの大きな組織だけではなく、小さくは仲良しグループや家庭に至るまで、「聞く耳」を持たないことが多くの場合破滅の要因になるようです。

会社時代、広報の仕事を担当したことがあります。この仕事は@広聴(広く取材する)、A広報(正確な情報を伝える)からなりますが、より重要なのは各層を広く聞きまわる広聴活動です。「聞かずしてしゃべるな」です。

ブログ仲間のぶんさんが、人間関係でもっとも大事なこの「聞く耳」について、小文をまとめてくれています。興味のある方はこちらをクリックして目を通してみてください。
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2006年06月06日

Nスペ「好きなものだけ食べたい」を見ましたか。

一昨日(4日)夜9時のNHKスペシャル「好きなものだけ食べたい」を見ましたか?

この豊かな時代、朝ごはんを食べない(親が食べないから子どもにも作らない)、好きなものだけ食べる、などの子どもが増えています。

その結果、運動能力が低下し続け、まだ子どもなのに老人のような体になっていく…。

番組の内容は、ブログ仲間のkoroさんが「まさかり半島日記」に詳しく書いてくれていますので、ぜひ、そちらをご覧ください。


私ごとですが、7人の子ども、両親、祖父の計10人家族の衣食住すべてを地方公務員だった父の安月給でやりくりしてくれた今年93歳の母親に大感謝です。

中学生のとき、弁当を開けたら、おかずは一切なく、麦ご飯の上におからが全面にという日もありました。お腹をすかせていましたから、麦ご飯、おからをひとかけらも残さずおいしく食べました。

納豆はどんぶりにいくつかあけてぐるぐる混ぜ、みんな少しずつご飯にかけて食べました。たまの魚は骨まで焼いて食べましたから、おかげで体は60歳を過ぎても丈夫です。この体は母が作ってくれたものです。

今は豊かな時代ですから、昔の生活を強いる必要はありません。ただ、時代が変わっても「子どもを丈夫に育てたい」という親の気持に変わりはないはずです。そのやり方を若い親たちは知らないだけなのでしょう。

逮捕されたMファンドのM氏は、小学生のとき親から100万円をもらい、「これで儲けてみろ」と言われたのが株に手を出すきっかけになったとか。

「欲しがるものを与える」、「好きなものをだけを食べさせる」ことの危うさ…。こんなことを日々続けていると、「体の健康」だけでなく、「心の豊かさ」まで失っていくような気がします。

若いお父さん、お母さん、自分の子どもが心身ともに丈夫に、健康に育って欲しいと願うならば、少しお腹をすかせてみてはいかがでしょう。お腹がすくと、何でもおいしいですよ。


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2006年03月22日

プロ野球と高校野球、そして王ジャパン

いつの頃からだったかなぁ、テレビでプロ野球を見なくなったのは。野球自体は子どものころから好きでしたが、カネで巨砲ばかり集めた巨人が貧乏球団に負けるなど、どうも面白くなくなり、10年ほど前からはサッカーの方に興味が移っていました。

でも、高校野球はよく見ます。その高校野球とプロ野球の違いって、いったい何なんでしょうね。真剣にボールに向かうひたむきさ、4番打者を中心とした「大砲野球」ではなく「全員野球」、負ければ悔しさで、勝てば喜びで号泣する純真さ、などでしょうか。

きのう、テレビでWBC決勝を見ました。王ジャパンはチームの勝利のために控え選手も含めてみんなが立ったまま声を枯らして応援していました。まさに、ひたむきな全員野球、「高校野球」そのものです。そして、勝利の瞬間!

個人が球団と金銭契約し、毎日、仕事をやって、勝っても負けてもさほど喜怒哀楽も見せずに淡々と帰宅するプロ野球選手。その同じ選手たちが、今回は全員が「目標」を共有し、それに向かって一丸となっていました。これこそ、本来、スポーツがもつ本当の楽しさです。

同じプロ野球の選手たちなのですが、目標や意識の持ち方次第で「高校野球」の選手のようにひたむきになれるんですね。とてもいいチームに仕上がり、そのご褒美が「世界一」でした。感動をありがとう!お疲れさま。

さて、6月のワールドカップでは、ジーコ・ジャパンは今回の野球チームほどの集団に仕上がってくるのでしょうか。楽しみではあります。
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2006年03月20日

中国人、I さんが語る「食の問題」

娘の友達の中国人、I さんが遊びに来ました。娘は中国に戻っているのですが、I さんは先週、北京から来日し、仕事でしばらく日本に滞在するとのことです。例の「宛先誤記問題」では大変お世話になった人です。

彼女は中国の「食糧問題」に強い危機感を持っています。量的なものではなく、安全問題です。肉、魚、野菜、果物…、安心して食べられるものがなくなってきていると嘆いていました。

魚類の養殖に使われているエサときたら…、毒性の強い化学肥料に犯された農産物ときたら…、いろいろと事例を挙げてくれました。

中国の中央電視台(中国全土をカバーする国営テレビ)の人気番組のひとつに「品質問題」があり、この番組では、あるテーマについてひどい事例とよい事例を紹介しているそうです。

「光明」という大手牛乳メーカーが槍玉にあがったケースは、売れ残り品を回収し、紙パックからあけ、なにやらの添加物を加えて加熱し、再び包装して店頭に送り込んでいる、というものです。

以前、NHKで紹介されていた中国の農民のインタビュー「この野菜を食べるかって? とんでもない。こんな危ないものはわしらは食べないよ」(確かこんな風だった)も、この番組の引用だったのかもしれません。

このまま進んだら中国人の健康はいったいどうなるのか…、彼女は本気で心配しています。政府も安全な食の確保を緊要の問題ととらえ始めているから、国営テレビで真正面から、悪質な例を暴露しているのでしょう。

「貧しかった中国の時代は、みんな自然のものを食べていました。今、安心して食べられるものは少なく、それを手に入れられる人も一部に限られています」
「医食同源は漢方の考え方です。体によくないものを食べると病気にもなります。すでに中国の発ガン率は異常に高くなってきています」とI さん。

彼女が熱心に語るのを聞いていて、日本も大差ないのではないかと強く思いました。鶏を運動もさせずにギューギュー詰めにした鶏舎の中で、黄身の色までコントロールする飼料を与えて産ませた卵はどうも「生」では食べられません。これはほんの一例です。

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2006年03月07日

ちっぽけな自信でも…

一昨日の歌い初め、弾き初めの会で、ある人から聞いた話を紹介します。

Yさん、41歳、男性。

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三味線には、民謡の名取の父親、民舞をやっていた母親の影響で、小学生のころからさわっていました。
中学校に行き始めてから、何をやってもダメで、学校を休みがちになりました。
みんなは英語やら算数、国語、どんどん進んでいきますが、僕は家にいて猫とあそんでいる毎日でした。

2年生のとき、「3年生を送る会」があり、「三味線を弾かないか」と先生から言われて、のこのこと出かけました。
1千人の生徒の前で、ひとり三味線を弾きました。
みんなの視線を強く感じました。
そして、思ったことは「この1千人の中で三味線を弾くのはひょっとすると僕1人かも知れない」。

学校に毎日、通うようになったのはそれからです。

最近、いろいろな学校や施設、教師から講演を頼まれます。テーマは「不登校」。
今では不登校の子どもとひと言、ふた言話をすると、その子の気持がわかります。

講演にはいつも三味線を持っていきます。
自分が不登校の子どもだったこと、そして、「3年生を送る会」の話をした後、三味線を弾きます。

子どもたちの眼がどんどん輝いていきます。
みんな、ちっぽけでもいい、何かこれはというものを求めているのですね。

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Yさんの話はこれで終わりですが、この話を聞いて思ったことが2つ。

その1) 私も、中学時代は自信のない、どちらかと言えば内気な性格で、友人も限られていました。長兄が買って来た質流れ品のギターをきょうだいが競ってさわりまくったのはこの頃です。Yさんとまったく同じ「3年生を送る会」が学校であり、これまた先生から「お前、弾いてみろ」といわれたのもYさんと一緒。2千人の全校生徒の前でギターを弾きました。覚えたての「禁じられた遊び」です。これは大変な自信になりました。それ以来、「ギターをオレもやりたい」という友達がたくさん生まれ、少し、外向きに心が開けるようになりました。

その2) 娘の一人が高校生のころ、学校に行かなくなり、ひどい拒食症にも苦しみました。親にはつらい時期でしたが、もっともっとつらかったのは娘の方だったでしょう。結局、高校を中退。大検の資格はとりましたが、進学はせずに漫画を描き始めました。父親、母親ともにまったく絵心はないのですが、どこでいつ勉強したのか、パワーのある漫画を描きます。今では、豊かな生活ではないにしても、親の仕送り無しに、独立して「漫画で食べている」毎日です。親が与えてあげられなかったものを自分で身につけて、ちゃんと生きている娘とたまに会うと、逆に、何かと説教されるようになりました。これがなんともうれしい。娘に感謝です。
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2006年03月01日

3点取材

会社では広報の仕事が長かったが、あるとき、ベテラン新聞記者から「3点取材」という記者の心構えを教えてもらった。

たとえ話で説明するとわかりやすい…「喧嘩」の場合。

ほんとに悪いのが誰なのかを知るためには「殴った人」、「殴られた人」、「第三者(目撃者など)」の最低3人を取材しなければならない。

「殴られた人」だけの話を聞くと大体が「殴った人」が悪いことになるが、「目撃者」含めて3人の話をしっかりと聞いて見ると、実は殴られて当然の悪いことをこの人はやっている、なんてことがよくある。

民主党の若手の議員が知り合いの記者から1枚のメールの写しをもらって、それをホンモノと信じ、自民党幹事長に噛み付いた。民主党の幹事長も代表も、この議員を信じて予算委員会での質問を指示した。

一方、受けた自民党はすぐさま、3点取材を行った。メールの発信人とされたホリエモン、金の送金者とされたライブドア、受取人とされた自民党幹事長の息子、それぞれを確かめたところ、メールも送っていない、金も送っていない、受け取ってもいない、となった。勝負あり、だ。

政権党の幹事長の首が飛ぶような話を持ち出すにしては、あまりにも、お粗末。みっともない話だ。

大岡越前守の有名な「大岡裁き」はこの3点取材の話のように思う。記者から教えられた「何が本当に正しいのか」を知るためのこの「3点取材」は、その後、会社の仕事の中でしっかりと応用させてもらった。教えてくれたベテラン記者に感謝である。
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2006年02月24日

人間、成長し続けられる。荒川選手、お見事!

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女子フィギュアで荒川静香が金メダルをとった。
負けず嫌いだけど、弱虫で泣き虫だった荒川がこの2年で人間的にずいぶんと成長していた。

荒川静香.jpg 

8年前の長野オリンピックに16歳で初出場したときは、期待されながらも惨敗。前回のソルトレークシティ大会は代表から漏れたが、2004年3月、世界選手権でみごと金メダルを獲得した。

ところが、それから迷いの時期に入る。特に去年はタイトルから遠ざかり、安藤美姫や浅田真央といった10代選手の追い上げもあって、いったん消えかかったかに見えた。いつも、何か自信無げで、大きな目も伏し目がち。インタビューを受けてもイラついた表情を見せていたのを覚えている。

どうやら、そのころ彼女は「与えられたプログラムと曲」の枠の中であがいていたようだ。そして、選んだのが「やらされ感よりも達成感」。それまでのコーチを離れアメリカにわたり、「自分が納得できるメニューと音楽」を探し始めた。

今回、直前に自分で曲目も変えて望んだのは、踊らされるのではなく、自分で踊るんだという意思表示でもあった。表彰台で君が代を口ずさむ彼女のあの落ち着いた安らかな表情は、勝利を喜んでいるというより、「やり遂げた満足」の顔だった。

人間、「やらされ感」を感じているうちは、自信も持てず、失敗しても「言い訳」を並べるが、「自分が納得できるメニューを考えて練習し、本番に臨む」とき、そこには達成感とともに、小さなミスへの「反省」も生まれる。

受賞後のインタビューで「自分は金メダルをとれるとはまったく思っていなかった。3-3-2回転のコンビネーションジャンプが3-2-2になったミスが残念です」と淡々と語っていたが、金よりも「達成感」を求めてきた荒川の頭には、「まず反省」が浮かんだのだろう。何せ、8歳も年下の浅田真央はすでに3-3-3を世界で初めて成功させているのだ。

人間、どこにいても、何をやっていても変わっていける。「言い訳」できないところに自分をおけば、成長し続けられる。
あらためて、教えられました。荒川静香、アリガトウ!

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(写真は「共同」「YOMIURI ONLINE」からお借りしました)
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2006年02月16日

言い訳をしない生き方…岡崎朋美に拍手!

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(写真はSponichi Annexからお借りしました)

岡崎朋美がトリノオリンピック女子スピードスケート500mで4位に入賞した。3位との差は100分の5秒。ほとんど同着にしか見えない差である。

6年前には椎間板(ついかんばん)ヘルニアの手術を受け、今でも腰に5センチの傷を持つ。自分も岡崎と同じ年齢の頃、同じ手術を受けたが、「同病、相憐れむ」ということからではなく、率直にスゴイ、と思う。執刀した医師は「五輪がなければヘルニアの手術は勧めなかった」と言ったが、厳しい自己管理ができる岡崎だからやった手術だろう。医者の期待通り、岡崎は自分でこの病の再発を防ぎ、所属する富士急の監督をして「本人がどう考えているかは知らないが、最も準備出来た五輪」と言わしめるまで回復した。

大菅小百合(25)、吉井小百合(21)など、ひと回り若い選手が台頭してきても、その後輩たちの面倒を見るやさしいお姉さんである一方で、徹底して「自分は自分」を通して力をつける努力を怠らない。自分の目標を「明確にあるものじゃないんです。五輪や世界選手権を経れば、その都度、その都度、疑問が生まれる。それを確かめるためには、技術にしても手術にしても乗り越えていくしかない」と語るが、目の前の疑問を順々に片づけていくのが岡崎流。

回りが岡崎限界説を唱えても、意に介しない。引退は周囲が決めるのではなく、あくまでも自分。つまり、「五輪や世界選手権で戦えなくなったら」やめる、これだけだ。「だれに言われたから」、「周りが言うので」なんて言い訳は岡崎はしない。

清水宏保が高校1年生のとき岡崎は3年生。マドンナ的な存在で、後輩の面倒をよく見るやさしいお姉さんだったという。その清水が今回惨敗し、岡崎は日本人選手最高の4位に入賞した。4年後のバンクーバー冬季オリンピックは38歳になる岡崎。頑張って出て欲しい気はするが、それは岡崎が自分で決めることだろう。

岡崎朋美、その生き方に拍手!
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2006年02月13日

映画「華氏911」を見て

ヒットラーの側近で宣伝相だったゲッペルスいわく「ウソも100回繰り返せば本物になる」。その通り、彼はヒットラーの持論「ユダヤ人は劣等人種であり、この世から抹殺しなければならない」を言い続けた。普通の常識を持った市民がナチ党に続々入党し、やがて親衛隊員になってドイツをして世界を悪夢の戦争に引きずり込む。

ずいぶん以前になるが、こんな「メディアの影響」実験がおこなわれた。普通の学生をA、B2グループに分ける。当時、盛んだった学生運動に関する映像を2本編集する。Aグループには@学生が機動隊に滅多打ちされて血だらけになる編を、BグループにはA機動隊員が学生の鉄パイプで滅多打ちにされて血だらけになる編をそれぞれ見せる。見た後に「学生、機動隊のどちらに同情するか」というカンタンなアンケートに答えてもらう。

結果はご想像の通りである。学生の血を見たAグループは「機動隊が悪い」と言い、機動隊員の血を見たBグループは「学生が悪い」と答えた。
映像は文字情報の数十倍とも数百倍ともいわれる大量の情報を運ぶ媒体(メディア)だ。

マイケル・ムーア監督の「華氏911」をDVDで見た。カンヌ映画祭パルムドール受賞したこの作品は、実際のさまざまな映像をムーア流に編集したものだ。

アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュは、貿易センタービルやペンタゴンが狙われた9月11日の悲劇以前から、囁かれていたテロの可能性を軽視し、対策の提案を見過ごしてきた。大統領は、父ブッシュ元大統領の代からサウジの富豪ラディン一族と石油ビジネスを中心に密接に関わっていた。サウジとの間には、兆単位の石油マネーが動く。

一族の厄介者、オサマが引き起こしたとんでもないテロを、やがてブッシュ大統領はいつの間にかイラクに結びつけ、アメリカを攻撃したこともないイラクへの空爆を開始した。上下両院議員約600人弱のうち、イラクに兵士を送っているのはわずか1人。軍の募集官が集めているのは、仕事にあぶれた貧しい家庭の子弟である。

親子一家が兵士の家庭へのインタビューで映画は終わる。国に誇りを持ち、国を支えてきたと自負を持っていた母に息子の戦死が「電話1本」で伝えられる。「今まで誇りを持って支えてきたのは一体何だったのか」と泣き叫ぶ母。「平和であることこそむずかしい。なぜならば、平和は彼らにとって脅威なのだから」とのムーアのナレーションで終わる。


昨年10月28日のブログ(記事はこちら)でも触れたが、アメリカの軍と産業界とのつながり(軍産複合体)は信じられないほど強い。対イラク戦開戦の理由のひとつだった大量破壊兵器は出てこなかったし、ブッシュ自身、「情報は誤りだった。大量破壊兵器はもともとなかった」とまで言い切っている。ムーア監督が1年前にこの映画で指摘したことが次々に現実のものになりつつある。

学生と機動隊の映像実験ではないが、とにかく、「主役」であるブッシュをデータや事実をもとにずたずたにこき下ろす映画である。正直、この映画を見るにはかなり意識して客観姿勢を保つことが必要だと気持の上では準備して見始めた。が、今では内容的にかなり知られていることが多く、かえって頭の中を整理してくれた感じがする。

見ていない方はぜひ、見て欲しい映画だ。昨秋の大統領選で、ブッシュが最も怖かったのは相手候補よりもこの映画、正確に言うとこの映画に対する国民の反応だっただろう。
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2006年02月04日

脇の甘い経営者

ビジネスホテル「東横イン」は、出張でしばしば利用した宿だ。
宿泊代が安く、おまけにカンタンな朝食サービス(無料)もあって、サラリーマンには人気のホテルである。

ところが、その東横インが建設許可を得た図面で建て、検査を受けた後、違法に改造していたことがわかった。駐車場を客室にしたり、障害者用に部屋や施設を取り払って会議室にしたり、やりたい放題に作り直していたらしい。

建築には容積率というのがある。ご存知と思うが容積率=延べ床面積÷敷地面積、であらわされる。1000uの敷地に1階あたり700uで、7階建てのホテルを建てると容積率は(700×7)÷1000×100(%)=49%となる。

よく知られる建ぺい率もこの容積率も、その地域や建築目的ごとに定められている。
東横インの場合、容積率500%で検査を受けて合格した後、床面積には含まれない駐車場を客室に改造して、実際の容積率は670%になっていた物件もあった。

また、公的な宿泊施設には一定の割合で障害者用の客室の設置が義務付けられているが、東横インの多くが検査後に一般客室や会議室に改造していた。安い宿泊料のウラには「容積率を3割もごまかしていたり」、「備えるべき施設を備えていなかった」ことなどが隠されていたのである。

問題が発覚した直後、このホテルの社長が「年に1度か2度しか使われていない部屋なので…」、「制限速度60キロのところをま、67とか68キロで走る程度のことは…」などと発言していた。

客を、世間を、法をなめるこんな会社のトップのことを「脇の甘い経営者」という。最近、実に多い。






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2006年01月31日

いつまでも消えない子どものころの「食の記憶」

今朝の読売新聞の1面下のコラム「編集手帳」が、元プロボクシング世界チャンピョン輪島功一の子どものころの思い出について触れていた。

 …雑貨屋の同級生が売り物の羊羹(ようかん)を見せびらかし、「タマネギを生で1個食べたら、やるよ」と言った。終戦の数年後、甘い物が貴重だったころである。「よし」、鼻をつまんでタマネギにかじりつき、汁に涙を流しながら無我夢中で食べた。もらった羊羹の、ひりひりする舌に染み通る甘さは今も忘れない…。

この文章を読みながら、誰しも、子どものころの「食べものについての記憶」はいつまでも失せないものなのだなぁ、と思った。

そこで輪島功一の記憶にそっくりの話を含めてホロ苦い思い出を3つ。

その1・煮干し)小学校1年のとき(昭和26年)、同級生の家に遊びに行ったら、おやつに煮干しをぼりぼり食べていた。欲しそうな顔をしたら、「この醤油を飲んだら、あげる」と言って何かの器に入れた醤油を差し出された。しょっぱい記憶は飛んでしまったが、それを飲んで分けてもらった煮干しのうまかったこと。
 *それにしても、無茶なことをしたもんだ。急性の小児性高血圧になるところだったが、そのときどれくらい醤油を飲んだのだろう

その2・コロッケ)小学校5年生の頃、質屋の友達の家に行ったら、おやつにコロッケを丸ごと食べていた。コロッケなるものを食べたこともなくて、「いいなぁ、裕福な家は…」と何となく思った。

その3・おから弁当)中学校に入ってからお昼は弁当持参になったが、我が家は子ども7人の大所帯。安月給の地方公務員の父の給料だけではぜいたくできない。母が、育ち盛りの子どものために必死でやりくりしてくれていた。ある日、昼に弁当を開けたら、一面全体がおから。ほじくったら底から黒ずんだ麦飯が出てきた。同級生たちが卵焼きが並んだ「華やかな弁当」を広げている中で、なぜか下を向き、ふたで半分隠しながら食べた。ただ、生活が楽でないことはよく知っていたので、このことは母には一切言わず、その後もおから弁当を持って行った。

こんな話はほかにもある。

今、食べたいものはとんでもないもの以外は手に入るし、おまけに自分でもさまざまな料理にチャレンジできる暮らしを送っている。この60年間、自分の生き方を支えてくれたのは、こうした「ホロ苦い体験」だったのかもしれない、とふと思う。
posted by kathy at 13:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 思う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする